ふるさと巡りSC州=地域貢献大な移民に出会う旅=《8》平上さんの成功の秘訣とは

平上文雄さんと息子の喜浩さん

 四日目、ツアー第一グループの最終日、曇り空のもと、平上農園を再び訪れた。そこで、平上文雄さんから、妻・静子さんの兄が明け方亡くなられたという、思いがけない知らせを聞いた。
 平上農園の入口には、JICAの派遣でサンジョアキンにりんごの指導に来た後沢憲志氏と、コチア組合の記念プレートが埋められた石碑がある。後沢博士とコチア組合がなければ成功できなかった、という感謝を忘れないためだ。
 その石碑の前で、息子の喜浩さんが紹介された。ピラシカーバの大学を出た後、会社勤めをしていて、噴霧器の輸出入を任されていたという。その会社が閉まることになり、平上農園を継いでくれることになったそうだ。喜浩さんは「父と一緒に仕事をしていくのは大きな挑戦だと思う。私は2世であり、4世だけど、日本移民の一員であることを誇りに思っています。サンジョアキンは、りんごだけでなく、観光でもワインでもどんどん成長しているので、また来てください」とツアー参加者へ歓迎のあいさつをした。静子さんが跡取りのことが一番心配、と言っていたが、とても頼もしい息子さんだ。

 その後、文雄さんが案内してくれた倉庫には、ずらりと様々な機械などが並ぶ。「これは私が8歳の時のパスポートの写真。この後ろの茶箱には、ひいおじいちゃんのものが入ってる。この倉庫を、Museu(博物館)にしたら、全部出して飾るので見に来てください」と、博物館を作る予定だと明かしてくれた。
 「これはベータマックス。日本から来たビデオを、コロニアの人たちで回しながら懐かしく見た思い出。このテレビは、サンジョアキンに来た時に電気がなかったからバッテリーで見た。ブラジルで初めて電子レンジが発売された時に買ったSANYOのレンジ。電話がなかったから100wの短波ラジオで、サンパウロにいる販売を担当している兄とラジオで仕事のことを話していた」と、もう何十年も前のものが、とても大切に手入れされ、ビニールが掛けられて取ってある。
 18歳からバイクが好きで南米大陸を4年かけて全部回ったそうで、その時の1973年型ホンダのバイクと、訪れた場所が記された南米大陸の地図もある。「ほかの人がまだ鍬で耕しているときにね、初めてマイリンキにいるときに買ったTobatta(耕運機)もあり、これを買ったときは、ヘリコプターを買うよりうれしかった。そこからどんどんファミリアが良くなっていった」と、当時のことを鮮明に話す。
 なんと、14歳の時から、日記を一日も欠かさず書いているのだそうだ。旅行中でさえ常にノートを携帯して、何を食べたか、ガソリンはいくらか、といった細かいことまで記録していたそうだ。そのおかげで、日本語も平仮名とカタカナは忘れていないという。文雄さんの成功の秘訣が、少しだけ見えた気がした。
 その後、りんご貯蔵庫へ。りんごを400キロ分詰められる木箱がぎっしりと収められ、一年分の収穫、約1万5千トンが冷蔵保存されている。収穫後、一度に出荷せず、少しずつ分けて出荷しているそうだ。0~2度を保つ巨大な冷蔵庫には莫大な保険料がかかるそうだが、25メートルの高さを誇る防火水槽に6万リットルの水を常時貯めていることで、その保険料が大幅に抑えられているという。こうした工夫の一つひとつに、文雄さんの優れた経営センスが垣間見える。

りんごの選果場

 冷蔵貯蔵庫の横では、りんごの選別・洗浄・梱包・出荷のための長いベルトコンベヤーが稼働している。この選果場では、一年を通して常時150人ほどが働いており、収穫作業などを含めると、従業員は500人以上にのぼるという。常時稼働している人数は、おおよそ300人に達するそうだ。
 りんごは機械にざっと並べられ、傷んだものなどが次々と選別されていく。機械では判別できないものは人の手で丁寧により分けられる。かなり傷んだものや、わずかに傷のあるものなど、相当な量が除かれるが、それらはすべて「りんごのくず」として扱われる。驚くことに、それを現金で、しかも高値で買い取る人がいるという。半分腐っているようなものでも引き取ってくれるため、ここでは一切無駄が出ないそうだ。(麻生公子記者、つづく)

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