ふるさと巡りSC州=地域貢献大な移民に出会う旅=《6》ドミニカ転住者の逞しい生き様

リオグランデドスル州の名物料理であるアロス・カレテイロ(arroz carreteiro)

 平上りんご園で、フジりんごをそれぞれ七つずつ収穫させてもらい、早速その場でみずみずしいりんごをいただいた。1975年7月に植えられた3本の樹の前で記念撮影をした後、一行はサンジョアキン日本文化体育協会へと向かった。
 こちらでは、リオ・グランデ・ド・スル州の名物料理であるアロス・カレテイロ(Arroz carreteiro)が大鍋で用意され、野菜や肉、フジと、ここでしか生産されていないフェイジョア(feijoa)という、ゴイアバに似た甘酸っぱいフルーツなどで、もてなしていただいた。フェイジョアは、大谷周さんが生産していて、2024年に山本喜誉司賞を受賞している。
 平上さんと同じくサンジョアキン第一陣入植者の清水春江さん(76歳、群馬県)にお話を伺うと、ここでは5~6年前までは婦人会があって料理をしたりして集まっていたが、今は2世3世の時代になって集まることはほとんどなくなってしまったそうだ。
 春江さんは1958年、10歳の時に日本を出て、ドミニカに移住、4年半滞在した後、ピエダーデに入ったそうだ。25歳の時に、同船でブラジルに来た正夫さんと知り合い結婚。1974年にサンジョアキンに来て、電気も水もなく、土地も石ころだらけで、妊娠していたけど、農地にするために石を片付けていたらおなかが痛くなり、流産をしてしまったという。

ドミニカ&サンジョアキン第一陣入植者清水ご夫婦

 もう一人は17歳の時にノイローゼになり、施設に入っていて、44歳になる娘が今は後を継いでくれていて、孫もできた。「今はとても幸せです」と、笑みをたたえながらとても穏やかに、ものすごく苦労をされたであろう壮絶な半生を話してくれた。昨日の平上静子さん、石井和江さんと同じく、移民妻はたくましい。
 その後、夫の正夫さんにお話を伺うと、ドミニカにも第1回、サンジョアキンにも第1回に入植した家族移民で、父に連れられて来たという。ドミニカに6年間いた後、大統領が暗殺されて、ブラジルへの再移住を許された。当時はブラジルに移住するには、パトロンの元、4年間働かなければいけなかったが、正夫さんのお父さんはドミニカで貯めたお金で土地を購入し農業を始めたそうだ。

フジりんごとゴイアバに似た甘酸っぱいフルーツ・フェイジョア

 そのうち土地が古くなり、あちこち移住しないで落ち着きたい、果樹をやりたいと思い、サンパウロでりんごを作った。そのりんごは貯蔵ができず、もっとちゃんとしたりんごを作りたいと思ったところ、コチア組合の募集でサンジョアキンに来た。その頃、りんごは、出荷できるようになるまで7年かかったそうだ。
 お父さんは「りんごが生りだしたら、何トンも収穫出来て、毎年日本に行ける」と夢を見ていたそうだ。だが、サンジョアキン入植の3年後、事故でトラクターの下敷きになり、62歳で孫ができた年に、りんごを収穫することなく亡くなってしまったそうだ。
 今ではりんごは3、4年で収穫できるようになり、正夫さんご夫婦は、父が夢見た生活をかなえられているという。(麻生公子記者、つづく)

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