
ラジェス日本人会の方々と、レストランでの交流後、再びバスに乗り、ラジェス大学キャンパスの講堂へ。こちらでラジェス日本人会会長のヤマニシ・ロベルト・アツシさん(60歳)が、ラジェス日本人会の活動を話してくれた。ラジェスの日本人会は35年前にできたそうで、現在では35家族、100人ほどが参加しているそうだ。
ロベルトさん自身は、高知県出身の両親のもと、サンパウロ州イビウナ市で生まれた。JICAの奨学金で日本に留学、その後、1988年にサンタカタリーナ州カンポ・ベロ・ド・スルへ。2005年からラジェスに住み始め、2009年に初めて日本人会会長を務めたあと、2022年から再び会長職に復帰したそうだ。
「ラジェスに来た頃は、日本人会は正月などに集まったりしているだけだった。まだ小さいので会館はなく、全員がボランティアで法人登録もされていないのでCNPJ(法人番号)もない」という。同じく高知県にルーツをもつ奥さんのレジーナさんや日本人会の方たちとともに、日本文化を盛り上げようと2022年に企画を始めた。近隣のフロリアノポリスから「島太鼓」や盆踊り「イキルヨロコビ」も招待し、「企画から実施まで、たったの45日間で、第1回日本祭りを行った」という。

第2回の時は、ラジェス市商工組合からの援助も得て、大規模に開催された。3回目となった昨年の日本祭りでは、盆栽、刺子、習字、着付け、漫画、水引やかんざし、折り紙、太鼓など様々なワークショップを行ったそうだ。そのほかにも、太鼓や盆踊りが披露されたほか、歌謡ショーやコスプレコンテスト、三味線の演奏も行われ、来場者は1万人を超え、大盛況だったという。
日本祭りのほか、第1回の運動会も開催。ラジェス日本人会の方たちの活発な活動が紹介された後、約30分におよぶビデオが上映された。このビデオは、ラジェス日本人会の各家族が、どのようにラジェスにやってくることになったのかを自ら紹介するもので、前日夜に出来上がったのだという。
各自、自身のルーツである日本文化を守りたい、伝えたい、と強く思っていることが語られたと同時に、失われていくことに危機感を感じていることがうかがわれた。それが、このような活発な活動につながっているのだと思われる。ビデオ終了後、ビデオには出演しなかったが、当日出席していた家族も、ロベルト会長から紹介された。
最後に、谷口ジョゼ会長からあいさつがあった。まずは、ラジェス日本人会役員がとても若いことに驚いていた。実際、今回のふるさと巡りの参加者は、70代80代がほとんど。一方ラジェス日本人会は、ロベルト会長が60歳、他の中心メンバーも40から50代、20代もいる。ほとんどが戦後移民だ。

谷口県連会長は、ラジェスではとても活発な活動をしていることに感心していたとともに、ブラジル初期移民たちの苦労を力説。世代が下るにつれて、その苦労や日本との関わり、日本文化への関心などが薄れていきがちだということを話した。そのため、先祖が誰なのか、何をしてきたのかを知ることが大事であり、また日本との交流をし続けることが大切だということを強調した。県連ふるさと巡りは、日本人が足跡を残したすべての地域を訪れることが目標だと締めくくった。
ラジェスを後にし、バスで2時間ほどのサンジョアキンへ向かう。ロベルト会長のプレゼンで、このサンジョアキンや昨日訪問したフレイ・ロジェリオのラーモス移住地からも、日本祭りに参加してもらったり、ラジェスからそちらのイベントに参加した、という話をしていたのを思い出した。
ホテルにチェックインした後、近くのレストランに集まり夕食をとった。そこには、明日訪問予定の平上農園から、平上夫妻と娘さんがわざわざ足を運んでくださり、我々を出迎えてくれた。参加者一人ひとりに、こちらで栽培されている「フジ」りんごがプレゼントされた。
中でも「世界一」と呼ばれる、子猫の頭ほどもある大きなりんごは、ふるさと巡りの参加者の中で最高齢となる95歳の岡山出身のフジカワ・ヨシコさんに手渡された。心温まる交流のひとときを過ごしたあと、明日の農園訪問を楽しみにホテルへ戻った。(麻生公子記者、つづく)