ふるさと巡りSC州=地域貢献大な移民に出会う旅=《終》JICAへの感謝と歴史忘れず

後沢博士の像と参加者の皆さん

 4日目、平上農場を後にし、平上文雄さんのガイドでEPAGRI(Empresa de Pesquisa Agropecuária e Extensão Rural de Santa Catarina サンタカタリーナ州農業研究・普及センター)へ向かう。この入口には、イチョウやモミジが植えられていて、秋になると見事に紅葉するそうだ。冬には雪が降り、春には新緑、とブラジルでは珍しく四季があり、四季折々の写真も飾られていた。
 この気候がフジを育てるのに適している、とJICAから派遣された後沢憲志博士が判断し、フレイ・ロジェリオ市で始められ、その後サンジョアキンに平上さんら15家族が入植して、ブラジルで飛躍的にりんご栽培が増大したのだ。そしてりんごの研究者でフジという名前の生みの親、吉田義雄博士は「2回もブラジルに来てくれた。最後はサンパウロで亡くなったんだよね」と平上さん。
 この試験場はコンテナやトラック、試験場で使っている機械もすべてJICAが日本から寄付してくれたそうだ。「機械の使い方も、ブラジル人を日本に送って勉強させてね。60歳から70歳の博士たちが、常時住み込みで5人ほど指導に来てくれてね、だからブラジルのりんごはJICAのおかげ。ブラジル人に伝えたい、日本のおかげでりんご生産量がサンタカタリーナ州はブラジルでは1位になっていて、おいしいりんごがいつも食べられること、日本が助けてくれたことを、いつも話している」と力説した。

ブラジルのフジ第一号の樹

 後沢博士、吉田博士のりんごのデザインの記念碑が、センターの池のほとりに建てられている。そして、その近くに、1968年に日本から持ってこられてブラジルで最初に植えられたフジの樹が植えてある。
 平上さんが、日本の岩手県盛岡市農業研究センターで、当時170年もののフジの樹第一号が大切に保存されているのを見て、ブラジルのフジ第一号も、同じよう保存しなければ、と思い、帰ってきて探したら、山の中にほっておかれてあったそうだ。
 この樹は、初日に訪問したフレイ・ロジェリオ市、ラーモス植民地の平和の鐘公園を作った故小川和己さんが植えたもので、公園から200mのところにあったそうだ。政府に頼んで持ってきてもらい、1998年にこちらの施設に移植したそうだ。なお、他の3本の樹は、平上農園に移植されている。
 平上さんの話から、常に周りに対する感謝と、「歴史」を残す、ということを大切にしている姿勢が伺われた。ふるさと巡りの参加者の方に、同じ日本移民として、平上さんの成功をどう思うか、と伺ってみたところ「素晴らしい成功ですね、並々ならぬ苦労と努力をされたんでしょうね」。
 ただ、その苦労を感じさせない明るさと、苦労話も冗談交じりに笑い飛ばす姿に、周囲もつい笑顔になってしまう。そんな人柄こそが、平上さんの「成功」の要因なのかもしれない。

四季があるサンジョアキンの気候がおいしいりんごを育てる

 今回の第56回ふるさと巡りでは、サンタカタリーナ州西部にあるフレイ・ロジェリオ市ラーモス移住地、ラジェス、サンジョアキンの3カ所を訪れた。どこも戦後移住地で、入植から50年から60年と比較的新しいが、どの移住地も、日本文化や自分たちのルーツを残していこう、としていた。
 それぞれの交流会の締めくくりには、必ず谷口ジョセ会長が指揮をし、「ふるさと」を日本語で皆で合唱した。日本語が読めない方もいて、歌詞はカタカナでも書かれていたが、最後には涙ぐむ方もいらした。それぞれの土地で受け継がれる日本文化と、遠く離れたふるさとへの想い。移住地、ツアー参加者の双方の心に深く響いたのだろう。(麻生公子記者、終わり)

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