娘殺された父が執念の捜査=30年越し、別名潜伏中の犯人逮捕

1994年に殺害されたナンシー・メストレさん(左)とハイメ・サアデ容疑者(右)(11日付G1サイトの記事の一部)
1994年に殺害されたナンシー・メストレさん(左)とハイメ・サアデ容疑者(右)(11日付G1サイトの記事の一部)

 30年前に娘を殺された父親が執念の独自捜査を地道に続けたことで、ブラジル人に成りすまして潜伏していたコロンビア人殺人犯が逮捕され、同国当局に11日引き渡されたと同日付G1サイト(1)が報じた。
 コロンビア人のハイメ・サアデ容疑者は、当時恋人だったナンシー・メストレさんを強姦した上、撃ち殺した。ナンシーさんは一命を取り留めたものの、数日後に帰らぬ人となった。事件は1994年に起こったが、裁判はその2年後に行われた。サアデ容疑者の弁護側は、ナンシーさんは自殺したと主張したが、鑑識はこの主張を否定し、懲役27年の判決が下された。
 その後、ブラジルに逃亡し、新しい出生届を裏社会で買って名前を変え、仕事も見つけて家庭を築き、何十年間も身を隠しながら逃亡生活を送っていた。だがナンシーさんの父親マルティン・メストレさんの不屈の努力によって容疑者逮捕は成し遂げられた。彼は娘の殺人犯を捜すために自ら捜査講座を受講し、SNSの情報を徹底的に調査した。
 父親は、サアデ容疑者が「エンリケ・ドス・サントス・アビダラ」という氏名に変更していることを突き止め、インターポールによって指名手配された。父親が集めた手がかりを基に、ブラジルの警察は2020年1月に容疑者をブラジル南部ミナス・ジェライス州ベロオリゾンテ市で逮捕することに成功した。この事件は、スペインの『エル・パイス』紙に掲載され、反響を呼んだ。
 だが犯罪自体がコロンビアで起きていたため、同州の刑務所にわずか9カ月しか留置されなかった。彼は連邦裁判所から発行された予防拘禁の取消しを伴う釈放許可証を受け取った後、彼は判決が出るまで自由の身となった。
 ナンシーさんの父親は上訴して異例の措置として、2023年に最高裁で再審理された。その裁判で身柄引き渡し要求を受理したため、同年の5月1日、容疑者は北東部アラゴアス州のフランセス・ビーチにいたところを再逮捕され、翌日、軍警輸送機でベロオリゾンテに移送された。それ以降、サアデ容疑者はミナス州の監獄に収容されている。
 サアデ容疑者の弁護士フェルナンド・ゴメス・デ・オリヴェイラ氏は声明で、「ブラジルとコロンビアの当局による引き渡し手続きについての認識と、引き渡しの過程で連邦憲法や引き渡される人の人権が侵害されたと考えている。送還手続きの原因となった事実が、すでに時効を迎えていることを考慮する」と述べた。

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