JICA協力隊員リレーエッセイ=ブラジル各地から日系社会を伝える=(34)=キャンパスの片隅から=ブラジル日本棋院=長谷川律希

サンパウロ大学での囲碁会の様子。長谷川さん(中央)

 都会の喧騒を離れた閑静なキャンパス内は程よく緑に囲まれ、澄んだ朝の空気が、苦手な早起きを労ってくれる。最寄りのバス停から、待ちきれずに思わず小走りで向かう先は食堂脇の木陰だ。
 ここサンパウロ大学では、週に一度10人程度の学生が集まり、囲碁を楽しんでいる。彼らへの指導も私の活動の一つだ。野外ベンチに碁盤を広げて行う青空囲碁には、通りがかる学生も興味を示してしばしば足を止めてくれる。雑談担当もいれば、真剣に指導を仰ぐ者、今日こそはとライバルに挑む者、皆思い思いにこの時間を満喫している。
 1989年に設立されたブラジル日本棋院。南米囲碁を地道に支え続けてきた。他にアムステルダム、ニューヨーク、シアトルと同時期に設立された海外普及の拠点も、経営難から売却を余儀なくされ残すはここサンパウロのみ。
 明日は我が身である。常連の方々の平均年齢は約80と、顕著な高齢化は認めざるを得ないが、彼らを中心に守り抜かれてきたこの文化をそう簡単に絶やしてはならない。日系の枠を超えて、この国の若者に日本文化の一つとして囲碁を継承していく。それが私に課された務めである。
 しかし、それはこちらの事情に過ぎない。学生たちは偶然ここで囲碁に出会い、新しい仲間を見つけ、それを純粋に楽しんでいる。そんな彼らに、私は自分勝手にこちらの歴史を背負わせたいのではない。囲碁は大事な文化だとか、普及だなんだと、そうではない。ただ目の前の一局に没頭してくれるのが嬉しいだけだ。私はそれを応援する。
 と、偉そうに囲碁を教えている私も、実はまた大学生である。「なぜブラジルで囲碁を?」と聞かれるたび、「こんなご縁で……」と聞こえのよいことを言うのにも慣れてきたが、正直大学にはとうに飽きてしまっていたし、将来に漠然とした不安を抱えつつも、地球の反対側での体の良い2年間の現実逃避に甘えたかったとも言えるだろうか。
 実際ブラジルは現実逃避にはもってこいだ。物理的、文化的にも日本とはかけ離れていて、初めのうちは特別な場所での特別な生活を楽しんでいたように思う。
 しかし、ここでの生活も既に9ヶ月。はじめは口に合わないと思っていた豆のスープが日に日に美味しくなるのを実感したり、最低限の会話に必死だったポルトガル語で少し冗談が言えるようになってきたり、周りの人たちとの適度な距離感を掴み始めたり。そういった順応と共に、いい意味で特別感は薄れていった。
 現実逃避はすでに、現実になりつつある。

ブラジル日本棋院

 今では地球の反対側で囲碁を教えるのも当たり前の日常で、なんら特別でない自分の一部のような気がしてくるし、帰国してもこの国で出会った人たちとは当たり前に繋がっていると思う。逃避というより、むしろここで出会う価値観や新しい経験が、自分の現実世界を日々じんわりと押し拡げてくれている。今はそういう充実感が心地よい。
 さて、先日ここの哲学科で囲碁講座の開講が決まった。開講に尽力していただいた先生から、なんでも囲碁の哲学的側面を大切に、人生の教訓として囲碁を学生に取り組んでもらいたいのだと、原稿用紙3枚にもなろうかという熱のこもった長文が送られてきたのは印象的だった。私は囲碁をそのような普遍的な真理を体現するものとして崇拝する気持ちはないのだが、どうもそういう学問に精通する人間を惹きつける魅力が囲碁にはあるらしいのだ。
 同年代に囲碁を通じて伝えられる哲学などないが、とりあえずは気楽に。囲碁のルール説明が終わったら休憩を挟んで、現実逃避の仕方でも語ってみるか……。
みんな日本に留学し始めたりして。

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