JICA協力隊員リレーエッセイ=ブラジル各地から日系社会を伝える(4)=不思議なコロニア語に四苦八苦 サンパウロ州ジャカレイ市 櫻田麻友

2年前そのままの黒板を前にした櫻井さん。右下に「Não apague a lousa, por favor(黒板を消さないで)」と張り紙(本人提供)

 2022年5月からサンパウロ州ジャカレイ市の日系団体「ジャカレイ日伯文化体育協会」(以下文協)が運営するジャカレイ日本語学校で日本語教師として活動している櫻田麻友です。ジャカレイ文協は、サンパウロ市から東に約82キロの距離にあるジャカレイ市で1937年に設立されました。
 現在は約200世帯の会員を擁し、同市における日本文化継承・日本語普及のために様々な活動をしています。日本文化普及として剣道や書道・和太鼓等の活動をしています。
 また日本語学校では、週3日の対面授業、週1日のオンライン授業を、学習者約20人を対象に行っています。対面授業で日本語を勉強したい人はたくさんいますが、教師数が足りず、なかなか新しいクラスが開けないのが現状です。授業がない日にはカリキュラムや漢字テスト、復習テストなども作成しています。
 また2022年にジャカレイで再結成された太鼓の活動にも力を入れています。一時は、メンバーが4人にまで落ち込みましたが、現在は12人ほどになり、私も毎週練習に参加しています。まだまだ上手ではないけれど、みんな一生懸命練習をしているので、私も任期終了までは彼らとともに切磋琢磨したいと思っています。
 私が最初にブラジルに降り立ったのは2019年7月で、同期23人とともに到着しました。空港からサンパウロ市内のホテルに向かう際に、前後を軍警察に警備されたのを覚えています。えらいところに来てしまったと思ったのが、ブラジルの最初の印象です。
 約3週間のオリエンテーションが終わり、ジャカレイ市へ向かう道中、ポルトガル語が不安な私はドキドキビクビクしていましたが、その心配は無用でした。配属先では、問題なく日本語が通じ、またポルトガル語と混ぜても、理解してもらえました。
 買い物へ行っても日系人が多いので、混ぜて話して買い物ができます。驚きでした。日本の反対側の国で、こんなに日本語が通じるところがあるとは思ってもいませんでした。
 ただ、使っている日本語には、「匙(スプーン)」や「電気釜(炊飯器)」など、私は一度も使ったことのない古い言葉があり、当初は戸惑いました。日本の両親に訊いてみると、そういえば昔使っていたという返事があり、言葉は生きていて、常に変化しているというのが身に染みてわかりました。
 また、ポルトガル語と日本語が混ざった言葉もあります。例えば、「メーザかけ」は、理解するのに苦労しました。「メーザ=テーブル」なので、「テーブルクロス」のことです。こうした現地の日本語とポルトガル語が混ざった言語は、「コロニア語」と呼ばれ、他にも「メルカド(市場)でカルニ(肉)をコンプラ(買う)してくる」など、両言語の単語が混ざったり、”ポルトガル語の動詞+日本語の「する」”を使う形があったりします。
 他にも、「いつまで寝てンド!」「まだ、食べてンド?」のように、”日本語の動詞+ポルトガル語ndo(=英語のingと同じ進行形)”の形のものもあり、なかなか難しいなと思いました。

和太鼓の仲間たちと一緒に(本人提供)

 私はパンデミック前の2019年に派遣されたものの、着任後8カ月でコロナ禍のため、日本へ帰国し、2年後の2022年4月に、再びブラジルの地へ戻って来ました。私がきっと帰ってくると信じて、2年前の最後の授業の黒板をそのまま残しておいてくれた配属先の人たちの気持ちが、とても嬉しかったです。
 任期も残り約4カ月となりましたが、ジャカレイ日本語学校とジャカレイ文化体育協会のために活動していきます。

最新記事