《特別寄稿》ユーチューブで世界の高齢者お宅拝見=スウェーデンや北海道での暮らし=こうありたい理想の老後生活=サンパウロ市ビラカロン在住  毛利律子

 コロナ禍で「おうち時間」が増え、何をして過ごすか。特に現役を引退した高齢者にとってなかなか挑戦的なことになったが、パソコンや携帯電話一つで世界中の情報を読み、ネット社会を見聞して過ごすことができ、日々、文明の恩恵に浴している。
 中でも居ながらにして、世界の高齢者の「絶賛したい憧れの理想的老後生活」を拝見できるのは、なかなか有意義で刺激的な楽しいツアーである。一般的庶民の日本人宅では訪問者に家の中を見せるという習慣がないが、外国、ここブラジル人家庭でも、初めての訪問者には、手入れが行き届いた家の中を誇らしげに案内してくれる。
 家の中を見回しながら微笑ましい自慢話の数々、家族の歴史を聞くのはとても楽しいもてなしの一つである。
 ここではユーチューブの「北欧お家ツアー」という番組から、スウェーデンと日本の3組の高齢者の暮らしぶりを紹介するが、見終わるころには、羨望と憧れと元気で充たされたのである。
 日頃、老人鬱、老後の不安、認知症の恐怖といった悲観的なニュースが多い中で、ここに登場する高齢者を見ると、自分らしい理想の老後生活の希望が生まれるかもしれない。

■スウェーデン・100歳おばあちゃんの理想の一人住まい

 インゲヤード・アクセルソンさん100歳(撮影時2022年・99歳)は、美人でおしゃれ、背中はすくっとまっすぐに立っていて若々しい。ご主人は1999年に亡くなった。以後、23年間一人暮らしをしている。
 閑静な住宅街の中にある、一戸建ての家の玄関には防犯用のカメラが取り付けられている。玄関を入ると、重厚な年代物のクラッシック家具が迎えてくれる。玄関ドア―横のガラス戸にはカーテンがかかり、毎朝、それを開けるのが日課。開けないと、隣のご夫妻が様子を見に来てくれる。
 居間にはヴィンテージ家具が並び、壁には大きな額、家族の肖像、写真の数々、レコードプレイヤーなど、この家の良き時代がそのまま今に生きている。様々な物が置かれているが、無駄なものは無いようだ。部屋全体が整然と片付いていて、一つ一つの思い出の品が、ちゃんと自分の場所に居続けたという雰囲気に溢れている。
 部屋の佇まいに、一家の歴史が刻まれているのである。この家には地下にも暖炉のあるテレビルームがあり、夕方はここで過ごすという。続きの間には手芸部屋兼物置、洗濯機、アイロンの部屋、シャワーやサウナがある。どこもよく片付けられ、清潔で、とても高齢者の一人住まいとは思えない。
 離れて暮らす一人娘は65歳で早期退職し、夫人と孫の世話をする。休暇中には娘一家がやってきて滞在するための部屋がある。客人のためのダイニング・ルームには年代物のシャンデリアが下がり、テーブルの上や部屋のあちらこちらに生花が飾られている。100歳になっても変わらない、おばあちゃんの心遣いが行き届いているのである。
 インタビューする記者や撮影者のために、美しいフチ飾りのあるランチョンマットを用意し、素敵なお皿には美味しそうなビスケット、紅茶が振舞われる。テーブルウェアセットにも、夫人のこれまでの洗練された作法が生き生きと輝いている。インゲヤードおばあちゃんの暮らしぶりは100年経っても色あせていない。

掃除洗濯は?

 夫人の「おうち時間」は、もちろん寂しい時もあるが、身の回りのことは全て自分でする。だから居心地がよく、とても幸せ。掃除は毎日少しずつ、今日はこの部屋、明日はあの部屋。たくさんはしない。洗濯は、洗濯機がいっぱいになるまで待って、シーツは2週間おきに変える。

夫人が頼む福祉サービスは?

 サービスを頼むと、朝から来て朝食を用意し、ベッドメイク、ストレッチや散歩、薬の準備をしてくれる。市の担当者と連絡が取れる緊急用アラーム携帯を付け、在宅医療サービスを月4550円くらいで頼んでいる。地域の医療従事者は定期的に訪問してくれる。

苦難の乗り越え方は?

 どんな時も自分で舵を切ること。自身を労り、あえて他人に苦労を話して、思いを分け合ってもらう。
 21歳の時両親を亡くし、一人の妹と共に辛苦を乗り越え、絆はとても強かった。その妹は85歳で数年前に他界したが、妹の人生は、私と同じように幸せだったと思う。

人生もそろそろ終わりに向かっている・・・

 「この人生は良かった」の一言である。十分生きたので、このごろはもうそろそろかなあ、と思っている。
 自分は今とても元気で、一人で暮らしている。頭もしっかりしているし、友人も訪ねて来る。何も思い残すことがなく、このベストの状態で人生終わりにできたら、と思う。人の手を煩わせないうちに、私が私でいられるうちに…。
 インゲヤードさんの100歳自立生活から本当に多くのことを教わった。インタビューに淡々と語り、しかも笑顔を絶やさない。高齢者の憂いの表情は全く無い。住み慣れた家はすっきりと片付いていて、どこもかしこも、生の花が活けられ、日々の暮らしを満喫しているようだ。カッコいい!私もこんな老後生活を過ごせたらどんなに幸せだろう。
 このような潤いのある100歳女性を見ると、日本人の人生の終い方に関する考え方は少々尖りすぎではないかと思う。1枚の写真だけを残して、自分の人生をすべて片付けてしまおうという極端な「断捨離」の考え方である。こういう考えを見直してみようと思った。

■日本びいきの80代後半の夫婦の暮らし

 モットーは「焦るな!猿も木から落ちる」
 大の日本びいきのご夫妻である。ハンスさんは85歳、奥様は88歳。玄関ではきちんと靴を脱いで入る。日本のインスピレーションは玄関先から取り入れられている。
 家全体が白を基調にしているので、すっきりとして落ち着いている。至る所に赤色のアクセントカラーを使い、照明などはモダンにし、時々、気分転換をして取り換え、マンネリに流れる生活に変化をもたらす。
 家具は、やはりヴィンテージ物である。普段使いの陶器などはアンティーク調で揃えている。ゲストルームの家具の配置、灯りや、窓からの光の取り入れ方を工夫し、自作の工芸品を飾る。壁の絵画は時々掛け替え、生花を飾り、観葉植物など緑を多く取り入れている。80代後半のご夫婦だけの生活とは思えないほど、瀟洒である。
 手作りの裏庭の入り口には、モットーとしている「焦るな!猿も木から落ちる」と書かれた日本語の札が立つ。日本のインスピレーション第二弾である。庭の奥には、ハンスさん専用の小さな大工小屋が立っている。この小屋から、ハンスさんの趣味の陶芸や手作り庭のベンチやテーブルが生まれるのである。

二人のお家時間の日課は?

 自分たちは二人で庭の手入れ、掃除や料理をする。孫が6人。曾孫が8人。これは自慢。現代の若者は仕事熱心で子供を作らない(これは日本社会も同じ現象だ)。お隣さんの息子は結婚しないので、あまり孫の自慢をしないようにしている。
 大切にしていることは、自分の家は自分で手入れすること。家を愛し、ここで楽しむこと。夫婦は別人で、価値観も違う。だからこそ、相手を理解し、お互いに気持ちの良い空間を作るために努力するのである。

外国の二組から、こんな風に年を取りたいと教わった

 何度かこれらの映像を見て、彼らからは腰が曲がったり、よぼよぼした印象は全く感じられず、言葉も明晰で声も大きい。頭もしゃっきりして、独立自尊の精神が明確に生活に表れている。何といっても笑顔が美しい。こんな高齢者になって人生を終いたい、と強い羨望の思いに駆られるのである。
 二組とも、日常的にテレビ漬け、ネットに晒されるといった習慣からはほとんど縁遠いような暮らしをしているようである。寂しいからと、人間関係にやたら迎合したりせず、「自分らしく生きる」という日常に徹している姿はとてもカッコイイ! こんな風に年を取りたいと、すっかり憧れた。

■さて、日本人の高齢者の暮らしは?

 北海道のとある田舎で暮らす90歳の夫婦の一日を紹介しよう。日本の恵まれたゆとりある高齢者のケースと言えるかもしれない。しかし、先に紹介したスウェーデンの二組のモデルに比較すると、日本人高齢者らしい生活様式が窺えるのである。
 ご夫婦は朝6時半に起床し、テレビをつけ、血圧を測る。高血圧気味の高齢者には必須の朝一番の日課である。
 二人とも洗顔と身だしなみを整え、ご主人は居間のソファーに座り朝刊を読む。料理好きの夫人は台所に立って二人分の朝食を作る。料理をしないと元気が出ないからである。
 朝からちょっと豪華な朝食が、ベテラン主婦によってサクッと整う。居間のソファーに並んで座ってテレビを見ながら食事をする。食事が終わると、いつものように、奥様は台所で一人で片付けをする。
 料理好きの奥様もさすがに3食を作るのは大変なので、冷凍庫には宅配の食事セットが詰まっている。大変な時は、レンジでチンして食べるのだ。ほんとに便利でありがたいことだなあ、とこういう生活につくづく憧れる。
 食後には、忘れてはいけない数種類の処方薬服用が待っている。夫人は、ご主人の数種類の内服薬と4種類の目薬を差してあげる。90にもなると、目も耳も足腰も弱くなっている。「これが90歳のリアルだな」と撮影者は語る。夫婦は日常的には優雅な老後生活を楽しんでいるが、一方で、健康上の厳しい現実も同時進行なのだ。
 日本の高齢者は介護制度によって、日帰り利用回数が決まる要介護1から2の方は週に3、4回。要介護3から4は周4、5回の割合でデイサービスに通う。施設では一日楽しく遊び、入浴し、ご飯を食べて家に戻るという具合であるから、一般的な趣味のグループに所属していた高齢者のほとんどがデイサービスを利用するようになって、閉会する趣味の会も多くなったというのが昨今の現状である。
 さて、家で一人になった奥様は特別な一人時間を、思う存分に趣味に没頭して、醍醐味を満喫することができる。これ以上の幸せがあるだろうか。このような満足感があってこそ、優しい、広々とした気持ちで、デイサービスからお帰りのご主人を迎えることができるということか…。

■こんな気持ちでこれから先の人生を送りたい

 以上のようにスウェーデンの二組と、日本の典型的なゆとりある高齢夫婦一組の暮らしぶりを比較してみた。
 これらは数少ない理想的なモデルとしての高齢者の暮らしを映像化して紹介しているかもしれない。社会の圧倒的多数には、このような暮らしは無いといえよう。認知症? そんな医学用語は知りませんが、伊達に年を取っていないぞ、と皆さんの語り口は毅然として、聞いてて楽しく、和まされるのである。
 「思いがけなく長生きしました。少々ボケていますが、おかげで人生の辛苦を忘れ、今、この時間を楽しんでいます」、ということか…。
 言葉にならないほどの苦労の歳月を過ごし、気が付いたらこんなに長く生きちゃった。誰にもある苦労話はもういいよ。おかげ様で、毎日、日長、好きなことをしたい意欲のほうが勝り、生き生きとして生きているのだ、という大先輩たち。こんな気持ちでこれから先の人生を送りたいとつくづく考えた。

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