連載小説=自分史「たんぽぽ」=黒木 慧=第132話

 二〇一一年から二〇一三年までの出来事

 自分史を書き始めてから、かれこれ六年が過ぎてしまった。三年前の二〇一〇年一杯で、一応「第一部」として締め切ったのだけれど、その後三年が過ぎて、私は今日、七十九歳の誕生日を迎えた。だから、この三年間の出来事を加筆して、七十九年間の人生体験記としよう。
 この加筆する三年間の出来事は、特別大きな事件のみに省略して、そのあとで、総まとめとして七十九年間の人生を色々な角度から、私にとって人生とは何であったのかを洗い直してみたい。

 二〇一一年 うさぎ年 慧 七十六歳 美佐子 七十二歳
・一月二十三日(日) ブラジル宮崎県人会総会が開かれ、私が二年間勤めていた県人会長の退職願いが受理され、新しく谷広海会長が誕生した。私は眼が悪く、そして難聴を理由の退職であった。高橋久子さんと吉加江紀子さんが、役員に残って頑張るとのことで、私も安心して譲ることが出来た。
・二月十日(木) 昨年の十月頃からユーカリの植林を始め、今年初めの雨期の間に二・五ヘクタールを植えた。パウロとラエルシオを雇って、二Mx一・八Mの間隔で穴を掘って、雨で湿った日を選んで、植えて行くのであるが、私も一日中頑張って仕事をして、夕方へとへとに疲れてしまう。そのあと、腰を痛めてマッサジスタ通いだ。
・三月十一日(金) 午後二時二六分(日本時間)日本の東北、岩手と宮城と福島の太平洋沖合で、マグニチュード八・八の大地震と大津波が発生、沿岸部を襲い二万七千名が犠牲になった。テレビの実況映像はまさに生き地獄の様相であった。又、福島では地震と津波で、東京電力の第一原発が機能を停止して、放射能漏れが発生、半径三十KM以内の住民は全員他地域への避難を余儀なくされた。世界各地から救援隊が来て、また救援物資が届けられた。それにもまして、日本内部での救助活動は、世界を驚かせた。私もニッケイ新聞の「がんばろう ニッポン」に投稿して被災者への元気づけの言葉を送った。

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