連載小説=自分史「たんぽぽ」=黒木 慧=第2話

 そのことがあって私の慧(けい)という姓名が悪いのだと言うことでその後は家では、徳善(とくよし)と呼ばれるようになり兄弟姉妹の間では今でも私を徳善と呼んでいる。
 それから、私は七才になり、国民学校の一年生に入学した。一九四一年(昭和十六年)であった。その前の三~四年の鮮明な記憶はない。何かおぼろげな出来事があったような気はするけれど。
 多分これは入学前の出来事だったのだろうか、干拓地の中に堀があって、そこにはハゼやドモクロと言う小魚がいた。又、シジミ貝など沢山いて、それをとりに行って、あやまって足をすべらせて堀の深い所に落ち込んだ。泳ぎを知らない頃だったので、水の中をもがいているうちに誰かに助けられた。隣の正美兄ちゃんであった。だから、この時で二度も死の近くまで行ったことになる。
 私は両親が小柄であった故か、他の子供と比べても小さかった。当時に撮った古い写真を見ていて気づいたのだけれど、小さくて痩せていた。背丈も国民学校に入学する頃一〇〇cmそこそこではなかったかと想像するのである。男兄弟四人の中でも私が一番小さい。だから、この小さいということが私のコンプレックスとして一生ついて廻ることになる。でもこの小さい、小柄と言うことは悪い面ばかりではなく、同年輩の誰よりも体の動きは敏捷であった。
 性格は生まれ付きのものと、その後、色々な経験を通して培われるものによって形成されて行くものとがあるが、私は生まれ付きとしては負けず嫌いではあるけれど引っ込み思案のところがあった。やけを言って親を困らす事はまずなかったそうである。だから、餓鬼大将には程遠い性格であった。兄弟喧嘩もあまりした記憶はない。だから、人前であまり目立つ方ではなかった。

   当時の日本の情勢・世界の情勢

 私の生まれた一九三四年(昭和九年)から、第二次世界大戦の始まる一九四一年(昭和十六年)頃の、つまり私が国民学校に入学する頃までの私の周囲では何が起こっていたのだろう。

   第二次世界大戦と私と家族

 私が国民学校一年生になった年の暮、一九四一年(昭和十六年)十二月八日、ハワイの真珠湾攻撃で第二次世界大戦に日本も突入した。そして一九四五年(昭和二十年)八月十五日、ポツダム宣言受諾で日本は敗戦国となり、第二次世界大戦は終わった。

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