連載小説=自分史「たんぽぽ」=黒木 慧=第90話

・一月二十九日 夏の暑さで水耕栽培はうまくいかぬ。それでも面積倍増計画。
・二月八日 NHK素人のど自慢大会予選が、アニェンビホールで行われ、美佐子は「水色のワルツ」を歌ったけれど、選にもれた。
・二月十日 NHKの取材班が我が家にやって来て、美佐子と私を菊のハウスの中で取材した。美佐子の歌った、「水色のワルツ」と「君に合ううれしさ」の歌詞と美佐子の南の花嫁として嫁ぐ心境にスポットを当ててビデオを作成し、そのあと、NHKのど自慢・イン・ブラジルの続編とし、全世界に放映されたのである。美佐子と私も含めて、一躍有名になった。
・一月三十日 旅行好きの私が東南アジア、日本、ハワイ、アメリカの旅行をアメリカン航空で廻る計画をたてた。二人でUS$13.000である。
・二月十六日 それでも上記の計画はつぶれた。熊本の美佐子の母、黒木政子がガンが悪化したとの報で、美佐子が急きょ訪日となったため(五回目の訪日)。
・三月七日 私達のカラオケ仲間の三上弘文さんが死んで、その奥さんの治子さんが、サントス更生ホームに入居することになった(入居料月四サラリオ・ミニモ)。
・三月九日 私の左ひざ(すね)の痛みで、早瀬マッサジスタから三ヶ月のお灸をすすめられる(これで治った)。
・三月二十八日 黒木政子(九十才)死亡(日本では二十七日よる十一時)。一九〇八年生まれで、笠戸丸移民と同年であった。訪日した美佐子がつきそい看病して、その最後を看取った。政子の一生も伝松の妻として、八人の母として実に苦労の一生であった。しかし、後年の二十年位は天理教の信仰と共に幸せであった。
・四月八日 大近谷弥栄香(私のすぐ上の絹枝姉)六十六才で死亡した。病名は解らない。病弱であった。それでもボランティアなどで活動していた。夫の英世さんは高校の理科の先生で、この夫婦の間に芳枝と言う一人娘がいる。今は木村家に嫁いでいる。夫の英世さんは妻思いの良い夫であった(宮城県出身)。葬儀には訪日中の美佐子が参列。
・四月二日 田尻哲也宮崎県人会理事死亡。日系ブラジル社会の中で有名な文筆家であった。
・五月二十三日 今西正男(ミゲールの弟)の結婚式。
・五月二十六日 ミナス州のモンテ・カルメロの農場(コーヒー園)とゴイアス州のカルダス・ノーヴァスの太陽ホテル温泉に旅した。今回も私の後輩の森田晃夫妻を誘って、二組の夫婦による急がずの楽しい旅であった。
・六月十日 サッカーのワールドカップが始まった。
・六月十四日 美佐子の六十才の誕生日。

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