連載小説=自分史「たんぽぽ」=黒木 慧=第81話

 一九八九年
  この年の主な出来事の最初は、一月七日に私共にとっては二組目の仲人になって、我が農場で歩合で花作りをしていた原田さんの次女、エレーナと山下英利君が結婚した。
・一月二十五日、花の中央会で初めて監事に選ばれる。これが花の会との付き合い始めである。
・三月にはバルゼン・グランデの森田晃さんの家のガレージに、カラオケひまわりの舞台を移して、私共も本格的にカラオケを楽しむようになった。
・六月十九日から二十六日まで、コロンビアとエクアドルで開催された花作りのシンポジウム(メルクシャープ社、ベルチメッキ剤)に参加。コチア組合の仕事を辞めて帰ってきた悟と私と美佐子の三人で参加した。
  勿論、花作りの仲間三十人位で、この旅は旅行社選定など私が側面協力した。アンデス高原の花作りは魅力のあるすばらしいものであった。私の書いた旅行記がアグロ・ナッセンテ誌に掲載された(一九八九年九~十月号)
・七月には巳知治、美都子、大介、圭太の弟家族が訪日した。
・八月二十七日 宮崎県人会創立四〇周年記念式典がサンパウロの文協で開催され、母県宮崎より松形知 事ほか一〇〇名が来伯。
・九月三日 天理教此花大教会、田辺会長、田中(和歌山)、それに私の母達が非常にお世話になった日 向市の山岡此晑会長が来伯、私の家にも泊まられた。

 一九九〇年
  コーロル大統領が就任した。
  母県宮崎から山沢敏徳君と伊藤健児君が来伯、我が家で三ヶ月農業研修を始めた。
・一月二十一日 花の会でコチア地方花卉生産者協会(アプロ・フローラ・コチア)の会長に私が選ばれ、二ヵ年の任期を勤めることになった。
・二月七日からチリ国への旅に出た。アチバイアの小林夫婦と開発青年の藤川君と五人で、サンチアゴ近辺の花作り視察、海辺のバル・パライーゾやアンデスの三〇〇〇㍍以上のアルゼンチンの国境近くまでレンタカーで観光した。また、サンチアゴから南へ一千㌔のプエルトモントまで夜行寝台バスで行き、そこからチロエ島に渡り、またプエルトモントに戻り、アルゼンチン国境に近いチリ富士のすそ野に拡がる湖のほとりに沿って車を走らせた。この辺りはサーモン(さけ)の養殖を日本人が指導して、今では一万トンの水揚げがあり、七千トンは日本に輸出されているそうだ。また、林業も盛んで日本にも輸出されている。その反面、この国では走っている車は日本車が多い。

最新記事