連載小説=自分史「たんぽぽ」=黒木 慧=第7話

    初 恋

 私は余りおくてではなかったと思う。と言うのは中学の三年の時、初めて恋を感じたのである。二つ年下の中学一年生の女の子に何か言い現わせない様な純粋な慕情を感じたのだ。抱きしめたい様な衝動と近づき難い神々しさを感じたけど、それを態度に現すことは絶対に出来なかった。私の恥ずかしがり屋の性格もあってか、ついに口にすることはなく、片思いに終わってしまった。
 でも、その想いを感じてからと言うもの、彼女の面影が忘れられず、時々彼女を見かけると、いつも心が疼くのであった。私はつとめて、この想いを振りはらおうと努めるのであった。
 その後、年月が流れ、彼女の消息はあえて探らない様にしてきた。それと、もう一つ、私の成長の過程で参考として残したいことは、いつから性欲を感じたかと言うこと。多分、これが性欲と言えるかは解からないけれど、中学一年生の時、鉄棒にぶら下がって逆上がりの練習をしていた。もうちょっとで達成するぎりぎりのところで力が尽きる寸前のところで、何か今まで経験したことのない快感を感じた。多分、これが後に覚えた自慰行為の前身なのではと思うのである。

    熊本への旅

 さて、話は前後するが終戦間もなく、多分昭和二十一年(一九四六年)頃の夏、この頃は外地からの復員もあり日本国内では食糧が足りなくて、町の人々は田舎にどんどんと買出しに行っていた。何でも金目のものは食糧と替えていた。我が家でも食べ物が不足して、母など、海辺でアオサやフノリを採って来ては山間部の田舎に行って、米や麦と替えてきた。その様なことで家には少しの田畑はあったけれど、家族が食べるには不十分であった。
 そんな時、私は日向から熊本の菊池郡泗水村までの旅をした。熊本県菊池郡泗水村には私の母の姉に当たる、金子りんがちょっと大きな京染め店を持っていた。その昔、彼女は福岡の方から流れて来た、金子為吉と、この地で所帯を持った。この菊池地方は当時から養蚕が盛んで製糸工場も近くにあった。その様なことで、そこの住民は絹織物との縁が深く、日本着、きものなど、割合派手な生活をしていた。

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