連載小説=自分史「たんぽぽ」=黒木 慧=第12話

 錨を後部から下ろし、船が静止したら前頭部から巾三十㌢位、長さ八~十㍍位の道板を降ろして、前からは陸に錨を下ろして固定して、そのびよんびよんとする道板を上下して荷を積むのである。砂や石を運ぶ籠は前後びよびよしなる天びんで下げてあり、それをつり下げる綱は三本で二本が固定してあり、残り一本はフリーでそれを引けば籠がひっくり返って砂や石の荷が落ちる様になっていた。
 船は上下左右に揺れる。道板もそれにつれて揺れる。私達は裸足でその天びんをかついで調子を合わせながらかつぎ上げる。
 慣れない中は足を踏み滑らせて海中に落ちることもしばしばである。しぶきを上げる岩と岩の合間にはグリ石やバラスがある。波の静かな日をなるべく選んで急いで積み込む。海の仕事は天候に左右される。荒れた日は仕事は出来ない。古い船なのであかを汲みだすのが大変である。
 機関(エンジン)も古く、一度はボーリングにも出した。美々津の耳川の河口にこの船をつないで一晩泊めて置いたら、浸水がひどく沈没していたこともあった。その時、バスでその場所に行った時も父は一緒で、私は父に初めて外食をおごって貰った記憶がある。
 私の家のあった所は部落の人は皆、浜と呼んでいた。家の海よりには小さなうねりの波の打ち寄せる砂浜と続いていて、潮の干いた時は小えびに似たシャクが泥の穴にかくれているのを足で踏み出してとらえたものだった。それを炊いたり焼いたりして、味もえびに似て赤いシャクは美味しかった。その他にははまぐりも良くとれた。
村の女達は沖の潮の干し上がった石場で石に生えているあおさやふのりを、空き缶のふた等でこさいで、かご一杯採って来ては家の前にむしろを拡げ、その上で天日干ししてそれを10㌢x10㌢x20㌢のたんざく形に切りそろえて、町に売りに行ったり、食糧難の時は米や麦と交換したものだった。
 私の家はあまり漁はしなかったが、近所では立て網を定置して一晩置いて、次の朝、上げるとそれに沢山魚が掛かっていた。この様に、私の部落は半農半漁で生計を立てる家族が多かった。私はあまり行った事はなかったけど、大人たちはよく磯釣りに行っていた。
 海の浅瀬に生えている藻を釣り針に付けて荒磯で釣る魚は、私の地方ではイガメと言って、五㌔~十㌔の鯛の一種で、少し青味の表面で身は白く、ねばりがあってさしみにしても、炊いても焼いても実においしい魚で、今でもその味は忘れていない。

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