第19話 政治家と国民(その2)
政策のいいかげんさには次の様なものがある。
「プロ・アルコール政策」は、ブラジルの砂糖キビの植え付けを増やし、アルコール精油所を増産。南部の経済救済を目的として、特別恩典を設けたアルコール車の生産を奨励する政策であった。
この名案も80年後半をピークに、9 0年前半にガソリンとアルコールの価格差が縮まったことで、アルコール車の経済メリットがなくなり、アルコール車の販売が激減。各自動車メーカーが生産を打ち切ってしまった。これも「マイゾウ・メーノス」の世界であるブラジル政府の一貫した政策の欠如が原因である。
なおその後、フレックスエンジンが200 5年頃から開発され、ガソリンとアルコールどちらでも使用できるようになり、2008年ではフレックス車が全体の85%を越えるようになった。今ではオートバイも含めてブラジルで生産される全ての車輛がフレックスエンジンとなってきている。
「プロピーナ」(袖の下)と呼ばれる賄賂や「エスケーマ」(手口、方法)と言われる巧妙な手法での贈賄も頻繁に発覚している。
こんな間抜けな政府高官の恐喝事件がある。
2000年5月のことだ。パラー州に進出している日本の大手木材産業会社をなんやかんやと恐喝し続けていたIBAMA(ブラジル環境再生資源院)の所長がブラジリア空港で賄賂50万レアルを受け取った所を現行犯で逮捕された。これは木材産業会社の勇断と警察のコンビネーションプレーであった。(サンパウロ新聞5月27日付け参照)
ブラジルの日系木材産業会社を恐喝していたパラー州IBAMAのパウロ・カステロ・ブランコ所長が、ブラジリア国際空港で、共犯者と見られる田中容疑者と共に逮捕された。
被害企業が恐喝された金額は150万レアル。パラー州IBAMAの腐敗は甚だしく、現地からの要望でサルネイ・フィーリョ環境相は介入措置を取り、ブランコ所長の逮捕には、パラー州の検察、同州連邦警察、ブラジリアの連邦警察が協力した。
ブランコ所長は狙いをつけた企業に対し、伐採禁止木材を納入したとして罰金をかけるなどと嫌がらせを行い、前年末から頻繁に恐喝を行っていた。
被害企業はブランコ所長の言葉を録音して証拠とすることにし、原木植林部長が「贈賄するから罰金を帳消しにしてくれないか」ともちかけた。
「これは、得たり」とブランコ所長が提示した金額は200万レアル。それを「きつい。150万レアルにしてくれ、そして3回払いで」と交渉を長引かせた。折衝の時間が長くなり、会話が多くなれば、それだけ証拠も多くとれるからである。
ブランコ所長は被害企業の対応に原則的に同意を示し、仲介者を使って細かい交渉をさせ、50万レアルをブラジリア空港で仲介者に手渡すと決まった。
被害企業が渡す5 0万レアルの札束は証拠となるように警察が全てコピーを取っていた。また、警察が盗聴録音した被害企業とブランコ所長の交渉中の電話では、ブランコ所長がブラジル政府高官の名前を出して威圧を試みていたことが明らかになった。
5月24日、ブランコ所長は共犯の田中容疑者と共にベレン発2 64便に乗った。飛行機が夜、ブラジリア国際空港に到着し、ブランコ所長が50万レアル入りの鞄を手にした瞬間、私服警官らによって逮捕された。
ブランコ所長は、3 0日にニューヨーク市に行き、ブラジルを代表して環境問題について発言することになっていた。
また別の問題として、ブラジルではMST(モビメント・セン・テーハ、土地なし集団)と呼ばれる集団が非常に力を持ち始めている。各種の労働者シンジケート、労働党政党と結託して政府に対し強力な圧力をかけているのだ。民間の農場、国家管轄の土地に侵入し、政府との交渉で土地を手に入れてしまうという運動をいたる所で展開しており、農場の警備員、警察との発泡、乱闘騒ぎが後をたたない。
マナウスでも、いつも選挙の時期になるといたる所で、土地違法侵入問題が発生し始める。これはMSTとは別に、陰で政治家が貧困層を煽動して、所有者不明な土地、または市、州管轄の土地に侵入させ、立ち木を倒し、あっという間に、紙とビニールを使った掘立て小屋を立ててしまい、陰で政治家を通して強引に正当化してしまうのである。
これは、政治家の選挙の票集め目的の陰謀であり、バックに大きな力が働いているので被害に合ったら大変である。
最近だと、マナウスの日系二世の青年達が地元日系人達と中心になって発足させたマナウス・カントリー・クラブにゴルフ・コースがあるが、このロング・ホールの5番コースの半分が一日にしてブルドーザーに侵入され、立ち木や芝を取られ、柵まで作られてしまった事件がある。陰には悪質な不動産屋と市会議員動いているとのこと。裁判で戦っているがどうなることやら。(追記:最終的にマナウス・カントリー・クラブの土地所有権が認められ、取り戻すことができた。だが、その裏には、大きな通りを作る政府のプロジェクトを察知し、分譲住宅地と名打って造成整地した後、政府に高額で買い取ってもらう魂胆があったのではないか)
もっと悲劇的だったのは、リオ・デ・ジャネイロで発生したマンション・アパートの倒壊事件である。199 8年のカーニバルの時期にリオ・デ・ジャネイロのパラセ2号アパートが倒壊し、8名死亡。「施行業者は危険を認知していた」として建設責任者のセルジオ・マイヤ元議員に逮捕令が1999年12月になって出された。
何年も前から住民によって異常建設が指摘されていたにもかかわらず、放っておかれたため、アパートの一部が一夜にして倒壊してしまった。さらに建築に使われていた砂が塩分を含んだ海岸の砂であることも判明し、危険建築物として、残りも爆薬で強制的に破壊されてしまった。
建設会社の持ち主であり、連邦下院議員でもあったセルジオ・マイヤ氏は議院調査委員会で諮問を受け、議員資格を剥脱されたが、被害者達に補償金を一銭も支払わなかった。その後、彼は自身が所有するマイアミのホテルに友人を招待して年末パーティーを行い、豪華なコップでシャンペンを飲んでいる姿をブラジル全国ネットのテレビにスクープされていた。(つづく)
◆訂正
6月3日付け「マイゾウ・メーノスの世界ブラジル(24)」で紹介したブラジルのジェスチャー「食べる」の仕草を「手の平を上にして」としましたが、正しくは「手の平を下にして」でした。