連載小説=自分史「たんぽぽ」=黒木 慧=第68話

 ここはサンパウロ市から西へ六十㌔。サン・ロッケ市ソロカミリン区にあり、標高九〇〇~一一〇〇㍍、南回帰線上の南緯二三度で、真夏は暑いはずなのだが、標高が高く、空気が乾燥しているので、日本の夏よりもしのぎやすい。冬は二十年位前までは年に三~四回の降霜をみていたが、近年、地球の温暖化の影響か、年に一回霜をみることがある程度、全然降らない年が多くなった。冬の陽ざしは日本の春の様で、私は夏より冬の方が好きである。
 日本のような台風もなく、地震もない。普通の民家が火災で焼かれた話はまず聞いたことがない。ただ、一つだけ自慢できる欠点がある。それは泥棒や強盗である。この治安の悪さはどこにも負けない。この稿に出ている時代、つまり一九八〇年代頃までは、まだ心配する程の泥棒はいなかった。仕事はきつく、経済的余裕は余りなかったけれど、田舎では住人は皆のんびりして人情厚く、心にゆとりの持てるいい時代であった。それが一九九〇年代の中頃から、急に治安が悪くなり、それまでほとんど町で起きていた泥棒事件が、段々と農村の方に移って来た。そして、二十一世紀に入って、泥棒が強盗になり、無防備な農村は強盗にしてみれば一番稼ぎやすい所となった。さて、この治安などについては後ほど、また書く事にしよう。

    サンパウロ市近郊の花卉産業と私達

 サンパウロ市を取り巻く一〇〇㌔位の近郊地帯は平均して地形が悪く、起伏の多い山の連りである。サンロッケもやはり、その中にあって、私のシチオ(農場)は南北に一二〇〇㍍と長く、その一番下から頂上までの標高差は二〇〇㍍もある。それ故に、菊のハウスを建てるにも、どうしてもブルドーザーで段々に地均しをせねばならなかった。作物への潅水も七〇〇㍍上方まで押し上げる大きなボンバ(ポンプ)を必要とした。
 この様に、長所、短所のある土地での菊の切り花栽培だが少しづつハウスも増えて行った。それにつれて収入も少しづつ増えて行ったのだけれど、問題も多くなってきた。作物の病中害である。まず、地上部には菊の白サビ病、害虫は種類が多く、アカロ(ダニ)・トリップス絵かき虫、アブラ虫、モスカ・ブランカ(白バエ)など、そして地中には線虫やポドリドン(腐敗病)など。少しの油断も出来なかった。また、電照不足や黒幕での遮光不足、強風でハウスが飛ばされたり、常に悩みは尽きなかった。
 電照菊栽培を始めるに当たって、先輩の農場を見学したり、参考書を読んだり、色んなことで壁にぶつかりながら、何とかその場を乗り切って来た。この頃の花作りには、農事指導をする技師はいなかった。問題はすべて自分で解決せねばならなかった。

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