連載小説=自分史「たんぽぽ」=黒木 慧=第62話

 津田では政子母さんの本家、河北健一さん。役場を退職して盆栽を楽しんでおられる。そこで馬刺し(馬肉の刺身)をごちそうになる。そこから分家の民子おばさん・末妹の千代子おばさんの家を訪ね、話しがはずむ。この辺りは菊陽村の中台で
 近年、ゲートボール遊びが盛んである。夕方、藤本正勝さんの家に着く。立派な養豚場には育成豚五〇〇頭と繁殖豚四〇頭を飼育しており、年間三〇〇〇万円の売り上げとか。そこで一泊させて頂く。
・四月十日(木) 藤本正勝さんに案内されて、大阿蘇観光に行く。始めて見る阿蘇山はすばらしかった。そこから又、森の正勝さんの家に戻り、そのあと泗水の政子母さんの家まで送って頂く。夕方、時間があったので、近くの学校や有田保育所など見学、夜は美佐子は同級会に行く。
・四月十一日(金) 政子さんの天理教の布教所の月次祭で、日向市の此晑教会から、山岡宗喜若会長とその母の勝ちゃんに来て頂いて、司祭して頂き、そこには近所の人々や、津田の親戚の人々に来て頂いて、祖先の供養と皆の幸せを願うお祭りを行った。
・四月十二日(土)雨美佐子のふるさとを離れる日、佐賀の私の長姉、入口純子の旦那様の晋さんと、その長女のたか子が迎えに来てくれた。その前に私達はバスで山鹿市南島の私の父、弥吉の姉になる池上サトを訪ねた。八十六才のサト小母は記憶に少し障害があって、私達を思い出せない様だった。
 入口晋さん達がこの山鹿に迎えにやってきた。雨の高速を走り、佐賀県神崎郡志波屋村の私の長姉、純子の家に着いた。姉の家族は一男三女の子宝に恵まれ、今その孫達もいて幸せそうだった。純子姉はこの村で保母の仕事と子供達に習字を教えていた。ここで私達は昔懐かしいよもぎもちをついて食べた。仁比山神社の村祭りにも参加した。
・四月十四日(月) 佐賀から福岡へ、そして板付空港から大阪のいたみ空港着。美佐子の兄、公一郎と丸子夫婦の出迎えで高槻市の港工業の彼等の仕事場兼宿舎に着く。
 大阪には美佐子の兄弟四人が生活していた。長兄の公一郎、次男の宏彦、三男の繁、そして末っ子の松郎で、皆結婚していて、それぞれがいい奥さんを持っていた。兄嫁の方から、丸子さん、金子さん、うい子さん、そして節子さんである。宏彦はタクシーの運転手、繁は広告デザインの仕事、末の松郎は長兄の公一郎と同じ港製器会社で働いていた。長兄の公一郎は工場長格で会社の経営にも参画している様だった。奥さんの丸子さんは岩手県出身でこの寮の仕事を一切任されていた。

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