

飛行機の本当の発明者は誰か――この問いは現在も航空史上の大きな論争だ。1906年11月12日、ブラジル人アルベルト・サントス・デュモンは仏パリのバガテル公園で「14ビス」を操り、国際航空連盟に認定された初の公式飛行を成功させた。だが、この事実をもって彼が単独の発明者と認められているわけではない。米国のライト兄弟も先駆者の地位を主張し、両者の対立は100年以上にわたり続いていると1日付BBCブラジル(1)が報じた。
デュモンの飛行は、公衆の目前で達成された初の「証明可能な飛行」と評価され、当時の欧州で広く称賛された。彼は1892年に渡仏し、気球や飛行船の研究を重ねた末、14ビス(試作機14号改良型の意)を発明。この機体は自力で離陸し、220メートルを飛行して正式に認定された。翌07年には、初の量産型軽量段座飛行機「ドゥモワゼル」を開発した。
一方、米国のライト兄弟は1903年12月17日、ノースカロライナ州キティホークで、フライヤー号による有人飛行に成功したと主張。この飛行は59秒間、約260メートルに及んだとされているが、目撃者は3人の救助隊員含む数名に過ぎず、公的な認証はなくその信憑性を疑問視する声もある。
同機は補助装置としてカタパルト(発射装置)を使用し、斜面を駆け下りることで加速しなければ離陸できなかった。このため、批判者らは同機を「動力付きグライダー」に過ぎないと指摘。一方、デュモンの14ビスは、外部補助なしに滑走から自力離陸を達成した点が評価されている。
ライト兄弟は1904年と翌05年にも改良型での飛行を行い、08年には欧州に渡り200回以上の飛行実演を行った。各国の王侯貴族を同乗させたことで大きな話題となり、航空技術の成熟を印象付けた。
だが同兄弟はその後、特許権の保護に注力。特に米国の航空技術者グレン・カーチスに対する訴訟を起こしたことで注目を浴び、「技術の普及よりも独占」に重きを置いたとして批判を浴びた。
対照的にデュモンはドゥモワゼルの設計図を公開し、誰でも模倣や改良できるようにした。この姿勢は今日の「オープンソース」に通じるもので、航空の発展に資する貢献であったと評価されている。
他方、ライト兄弟とデュモン以外にも飛行を試みた人物が存在する。独出身のグスタフ・ホワイトヘッドは1901年に飛行を成功させたとされ、ニュージーランドのリチャード・ピアースも1903年に短距離飛行を行った。これら一連の事例は飛行機の発明が一人の業績ではないことを示している。
英書『ジェーン世界の航空機年鑑』の元編集長ポール・ジャクソン氏は「飛行機の発明は個人のひらめきだけではなく、無数の試行錯誤の結果であり、宣伝が巧みだった人物に帰されることが多い」と指摘。
デュモンは1932年、サンパウロ州グアルジャのホテルで死亡した。公式には心臓発作とされていたが、後年になり自死だったことが明らかになっている。死を選んだ背景には、彼の発明が第一次世界大戦や国内紛争で殺りくの道具として使われたことへの絶望があったとされる。