《特別寄稿》米国日系アメリカ人作家 アレン・セイの『おじいさんの旅路』=移民の忘れ難き二つの国への郷愁=サンパウロ市ヴィラカロン在住 毛利律子

アレン・セイ(Christoph Rieger, via Wikimedia Commons)

 アレン・セイの『おじいさんの旅路』は、二つの国を「故郷」と呼び、その憧れをテーマにしている。全編、作家による28枚の静かで、奥深い美しさを持つ水彩の肖像画のような挿絵に、数行の短い文章、一行だけのページも多い絵本である。
 底辺に横たわるイメージは、日系、移民、海、旅、カリフォルニア、戦争、家族である。
 この絵本は、明治時代に日本からアメリカ合衆国へ渡り、結婚のため一時帰国した作者の祖父が、再び日本からアメリカに渡り、さらに故郷恋しさに日本に戻り、再びアメリカ行きを目指すも、戦争勃発によって再渡航を果たすことができなかったという個人の物語で、作者は淡々と自分の家族の話を綴っていく。
 それは同時に他の多くの移住者の心情も描いた物語といえよう。現代の私たち自身の物語でもある。物理的な移動ではなく、人間は何処で暮らしても、自分の原風景を忘れられず、いつも二つの住処を行きつ戻りつしている。
 まして移民は母国を背負って、新しい国で新しい母国を建設しようとする。その時、母国も移民国も同時に故郷となる。「故郷」が地球の反対側にある二つの異なる国であるとき、故郷への憧れは尚更であろう。
 移民の原風景は、直接的にはどれほど過酷であっても、いずれは静かな一枚の絵のような、抒情的な物語となって読む者の心を打つ。それは、祖父母、アレンの両親、そしてアレン本人の三世代にわたって繋がった両国への忘れがたい郷愁に共通するものである。
 作者アレンも、自分自身の二つの国への思いを挿絵に込めて、両方の場所に同時に行きたいという強く、絶え間ない願望を込めて描いている。
 一方の国にいると、いつも、もう一方の国が恋しくなる。きっと彼の祖父なら理解してくれるだろう。祖父の想いを一枚の絵、短文でより奥深さを強調してみよう。子供向けの絵本というより、年齢層を問わず読み継がれる一書にする目的で書こう、というのが、筆者の印象である。

アレン・セイの奇遇な経歴

おじいさんと著者を描いた場面

 アレン・セイ(Allen Say 1939年)は日本生まれの日系アメリカ人作家・イラストレーターで、本名はジェームズ・アレン・コウイチ・モリワキ・セイイ(James Allen Koichi Moriwaki Seii)という。神奈川県横浜市で生まれた。
 母はカリフォルニア州オークランド生まれの日系アメリカ人、父は韓国人であった。アレンが8歳の時に両親が離婚し父親にひきとられた。12歳の時に青山学院へ通うために母方の祖母と東京都に住むことになるが、すぐに祖母と別れて暮らすことになる。
 一人暮らしを始めたアレンは漫画家・野呂新平の弟子となった。その経緯は自伝小説『The Ink-Keeper’s Apprentice』(ISBN 978-0618216130)に詳しい。野呂はアレンにとって心の父であり、師であった。
 16歳の時、父親が再婚して渡米することになった。カリフォルニア州に渡ったアレンは、ロングビーチの家族から遠く離れたグレンドラにあるハーディング米軍学校に入れられた。そこでアレンは、軍隊に対する嫌悪感が募り、一年後には喫煙を原因に退学処分を受けた。
 一般高校に編入し、週末には美術クラスを取るなど絵の勉強を続けたアレンは、高校卒業後に永住帰国のつもりで日本へ戻る。しかしアレンが不在の間に日本も著しく変わっており、結局アメリカに帰ってくることになる。看板描きの仕事を始めたが満足せず、結婚して、カリフォルニア大学バークレー校で建築学を学ぶ。1962年に米陸軍に徴兵され、2年間ドイツに駐屯する。
 軍に所属中に、アレンの撮影した写真が認められ、アメリカ陸軍新聞、スターズ・アンド・ストライプスに掲載されたことから、アレンは除隊後も写真で生計を立てていこうとする。カリフォルニアで商業カメラマンとして働いていたことから自然に美術業界の人間との交流を得たアレンは、絵の才能も認められ、1972年に初めてイラストを描いた絵本が出版される。
 1979年には自伝小説『The Ink-Keeper’s Apprentice』を発行する。1984年に出版された本の絵が、きれいに再現されていないことに不満を感じたアレンは、本のイラストを描くのをやめてしまう。しかし1988年に出版社の助言で再び絵筆を取る決心をする。そして1990年代、50歳を越えて次々と絵本を発表することとなった。(要旨・ウィキペディア)

『おじいさんの旅路』

『おじいさんの旅路』の表紙

 この絵本は、1994年にコルデコット賞を受賞した。この賞は、19世紀イギリスのイラストレーター、ランドルフ・コルデコットを記念して名付けられた賞で、アメリカ図書館協会の下部組織である児童図書館協会が、アメリカ合衆国で前年に出版された最も優れた子ども向け絵本に毎年授与している賞である。(ウィキペディア)
 物語は、明治時代に作者のおじいさんが初めて洋服を着て、蒸気船でアメリカに渡った時に、太平洋の海原の大きさに驚き、3週間も陸地を見なかったこと。上陸してからは、汽車と河船で旅し、何日も歩いた。全く新しい世界のアメリカで、大きな岩を見て、果てしない畑を見渡し、大都会と田舎を回った。多くの人と出会った。黒人に白人、東洋人にインディアン、みんなと握手をした。カリフォルニアは最高だった。明るい日差し、シエラマドレの山並み、静かな海辺。おじいさんはすっかり魅了された。
 もっと見て回りたい。新しい場所をもっと見たい。その時は、日本に帰りたいとは一度も思わなかった。
 ところが、おじいさんは幼馴染と結婚するため、日本に帰る。二人は結婚して、再び、カルフォルニアのサンフランシスコ湾の近くに新居を構え暮らし始めた。アメリカが第二の故郷になった。やがて娘も生まれるが、おじいさんは再び日本が恋しくなった。おじいさんは家族を連れて故郷・日本に戻った。
 故郷は少しも変わらず、人々とも存分に旧交を温めることができた。
 でも、ぼく(作者)のお母さんは、そこに満足できなかった。それで、お母さんはサンフランシスコに戻り、お父さんと出会い結婚して、やがてぼくが生まれた。
 幼いころ、おじいさんを訪ねるたびに、アメリカのことを話してくれた。もう一度行きたい、と切望していた。しかしその時日本はアメリカと戦争になり、おじいさんの故郷は壊れてしまった。おじいさんが再び渡航する機会が実現することは無かったのである。しかし、戦争によって断念した祖父の願いは、やがてぼく(孫)によって叶う。
 作者は、「ぼくは、大きくなっておじいさんのカルフォルニアに行くことにした」、と物語を結んでいる。作者はこの絵本をじっくり2年かけて作ったという。1枚1枚の絵に、普遍的な故郷への「郷愁」を瑞々しく描き、息をのむような美しい本にして、すべての人々の物語にした。
 さて、ここで二つの国を行き来する心はどこから生まれるのだろう、と考えてみる。

移民は『不思議の国のアリス』の穴に落ちるようなもの

公爵夫人の飼い猫として登場する「チェシャ猫」。画面右に立っている少女がアリス(『不思議の国のアリス』原著より、ジョン・テニエルの挿絵、Public domain, via Wikimedia Commons)

 一つの例を挙げて考えてみる。
 近代を世界中の人の流れの中で見た時に、19世紀当時の産業革命時代のアメリカ東岸は顕著である。アメリカ合衆国では重工業が発達して多くの労働者を求め、東ヨーロッパや南ヨーロッパから大量の移民が渡る。その中の一つに、多数のハンガリー系がいた。その移民は、第一次世界大戦でアメリカが参戦すると、ハンガリーとアメリカは敵国になる。そうすると、アメリカのハンガリー系移民は懸命に自分たちの忠誠心を表してアメリカに溶け込もうとする。第2次世界大戦の時も同様であった。
 ところが第三世代の1960年代、アメリカで黒人の公民権運動がおき、この運動が移民集団に影響を与え、ハンガリー系の人たちは1970年代から自分たちの文化や言語を復活させて次の世代につなげようとする。そして、さまざまなメッセージを発して母国の政治に関与するようにもなった。
 移民は、新しい国に移住すると、予測不可能なこととの遭遇の連続である。習慣・規則が変わり、なじみのない環境、そして見知らぬ言語を話さねばならない、何もかもが奇妙に感じる新世界に自分自身を置くことになる。生まれ育った国と、新しい国の二つの異なる文化の中で生きることはこういうこと、という事態に常に直面する。新しい国で自国の民族的、人種的伝統とのつながりを維持すべきか。移民の子孫は、移民した新しい国の文化と、彼ら自身の文化のどちらに染まることがよいか。
 このような問題を議論するときに、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』のアリスの経験が例えられることがある。思いがけなくも新しい世界の穴に落ちたアリスは出会った猫と次のように対話する。
 アリスは、「家にいるほうがずっと楽しかったわ。私に何が起こったのだろう!」と嘆く。アリスは猫に聞く。
 「ここからどっちに行けばいいか教えていただけますか?」
 「それは、どこに行きたいかによって大きく変わります」と猫は言う。
 「どこにいても気にしないわ」とアリス。
 「それならどっちに行っても問題ないよ」と猫は言う。アリスは別の質問を試みる。すると、猫は「お好きな方に行ってください。両方とも狂っています」と言う。
 「でも、狂った人たちの中には入りたくないの」とアリス。
 「ああ、それは仕方ないね。ここではみんな怒っているんだ。私も怒っている。あなたも怒っているんだ」と猫。
 「どうして私が怒っていることがわかるの?」アリスは言いました。
 「そうでしょうね」と猫は言いました。「そうでなかったら、ここにきてそんなことを聞かないだろうよ」
 物語の冒頭で、自分の元の世界から、大きな穴の奇妙な部屋に落とされたアリスは、そこで「私を飲んで」と書かれた不思議な薬を飲み、いきなり体が大きくなったり、小さくなったり・・・大混乱する。
 しかし彼女はその薬を飲み、体の大きさを変えることで、奇妙な部屋を渡り歩くことに成功する。
 この場面を移民問題に寄せて、どのように読み解くか。

二つの国を行き来する不条理さと自分の信条

 旧世界、新世界を問わず、私たちは不条理で、ままならない世界で生きている。しかし「生きていく」ために、折り合いをつけて、たとえ不条理で道理から外れていても「合わせること」で、生きる術を得る。けれど、自分の信条は曲げずに、それを尊重する事は必要だということを忘れない。これは二国の間を往来することに似ていないだろうか。
 自分と周りの物の大きさが相対的に変わってしまったと気づいたとき、その二つを経験することによって、常に一方だけでは満足を得られない苦しみを知る。
 そのために、ことさら帰属意識と原風景への郷愁が強くなる。
 『おじいさんの旅路』を読んで、このようなことを合わせて考えたとき、作者はこの絵本で、祖父が単に祖国への郷愁から二つの国を往復する心情を描いているのではなく、奥底に、二国を知った祖父の胸の内に宿った葛藤を描いているのではないかと考え、何度か読み直している。
 ここで、日本国内では『おじいさんの旅』という題名で翻訳出版されているが、筆者は、英語のjourny(ジャーニー)という言葉の意味が「(旅)」ではなく、「(旅路=人生航路)」に近いと表現が相応しいと思うので、ここでは『おじいさんの旅路』とした。
 結びに、謹んでお願いの一言を添えさせていただきます。この美しい絵本は未だポルトガル語に翻訳出版されていないようです。ここで筆者の甚だ厚かましいお願いでございますが、ブラジル日報の購読者には、高邁なお志を以って、出版のご支援を頂けますようお願い申し上げます。

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