《特別寄稿》「日本文化は、他と比べるものがない」=日本人絶賛したレヴィ=ストロース=サンパウロ市ヴィラカロン在住 毛利律子

2005年、レヴィ=ストロース(UNESCO/Michel Ravassard, via Wikimedia Commons)

人間を脅かす禍は、自らの根源を忘れてしまうこと

 「日本、日本人、そしてその文化とは何ですか」。世界最大のブラジル日系移民社会で、この問いを向けられるとハタッと戸惑ってしまう。ここで生まれ育った次世代に、父祖の国の日本文化をどのように語れば違和感なく伝わるだろうか。
 「一言では説明できませんね」と、しどろもどろにお茶を濁しつつも、可能な限り正確に伝えたいという気概ばかりが強くなってしまう。母国日本に居ては経験しない愛国心に似た感情が突き上げてくるが、熱い思いに駆られて持論をひけらかしては恥ずかしい。
 あるいは、通り一遍の自画自賛、自文化優先主義に偏らず、冷静に自国の姿を、偏見無く、しかも端的に説明する切り口を探しあぐねるのである。
 そこで、日本人が解説する模範的な日本人観より、外国人の視点から日本の本質的な特徴を、違った角度からの気づきを学ぼう。遠く祖国を離れて、それぞれが出身国の文化を背負って生きる移民大国にいるからこそ、知らなかった日本の姿をより鮮明に見れるかもしれない。外国人のまなざしのように。
 20世紀最大の人類学者、哲学者のクロード・レヴィ=ストロース(1908―2009)は、「人間を脅かす禍は、自らの根源を忘れてしまうこと」と述べている。
 彼の日本探訪記『月の裏側』は、実に日本人が知らなかった「日本」を本格的に論じた書である。彼の日本文明への絶対的な敬愛は幼き頃から始まっていた。その不世出の文化人類学者をして、「悔しいが日本には比類がない(ほかに比べるものがない)」とまでいわしめた優れた日本。
 1993年、弟子の川田順造氏によるロング・インタビューがある。この映像を見終えて、多くの人が、日本に生まれてよかったという誇りを蘇らせてくれたという感想を残している。ここでは、その中から、要点を任意に拾い上げ、名言を列記して紹介したい。そして、自分の根源を忘れないためにも、レヴィ=ストロースから学び、心に留めたいと思うのである。
 彼の日本訪問は5回に及び、その都度の印象をまとめたのが『月の裏側』である。日本に滞在し、人類学者、哲学者の眼で、歴史、神話の構造的解説、文学、芸能、大工、陶芸、食の職人技に至る日本文化をつぶさに観察した造詣の深さ、関心の深さ、視点の鋭さに圧倒される。

クロード・レヴィ=ストロースは、幼い時から日本を敬愛

1930年代末、ブラジル時代のレヴィ=ストロース(左、Public domain, via Wikimedia Commons)

 レヴィ=ストロースが1935年ごろサンパウロ大学の教授をしていたことはつとに有名である。彼は大哲学者なので、その経歴や業績一覧からトピックだけを並べてみた。
 彼はベルギー生まれのユダヤ人で、フランスで育ち、100歳の長寿者であった。父は画家で、日本の浮世絵、版画を非常に好み、クロードは、学校で良い成績を取る毎に、その褒美に版画を一枚もらって大喜びしたという。父・息子ともに日本の美術工芸に関心が深かったのであった。
 ソルボンヌ大学の哲学教授資格試験に合格し教師を務めていた時、1935年、ブラジルの新設サンパウロ大学社会学教授として赴任。2年間の大学教授生活の間、パラグアイとの国境地帯に居住していたカデュヴェオ族(英語版)や、ブラジル内陸のマトグロッソ地方に居住していたボロロ族(英語版)のもとでの調査を行った。
 その後、大学からの任期延長の話を断り、ほぼ一年間、ブラジルの内陸部を横断する長期調査に当たる。この調査の途上で、ナムビクワラ族(英語版)やトゥピ=カワイブ族など、アマゾン川の支流に暮らすいくつかの民族と接触している。
 ブラジルに渡るまでの経緯や、ブラジルでの現地調査などのさまざまな体験、さらに後述の亡命を経て第2次大戦後フランスに帰国する頃までの体験のいくつかが、著書『悲しき熱帯』(1955年)のなかで印象的に回想されている。
 その中で提唱された「構造主義」は、それまでの西洋哲学を激変させ、当時の世界を席巻した「実存主義」を覆した。そのことについては割愛するが、著名な『野生の思考』の末尾には構造主義の特徴的な文章が綴られている。
 「文明社会と未開社会を比較して、これらは二様式として並置するものであり、未開人の様々な知の体系は自分たちの世界を安定的に維持するための知恵の結集であり、彼らの自然畏怖の念は、今日の環境問題に大切な教訓を与えているのである。そしてそれらのすべての思考の基盤にあるものは、目には見えない構造を持っている」

『月の裏側』の文化を探る

 「月の裏側」という比喩は、西欧に居ては見えることのなかった、日本の優れた文化形態のことを指している。そして、極東という地勢から、この国を様々な東西文化の集積地と捉え、その表われとしての芸術、民芸、神話を構造的に分析するのである。
 レヴィ=ストロースは来日時、博物館や社寺仏閣の見学より、町や村の染師、絵師、陶芸師、鍛治師、魚師、板前、邦楽奏者などへのインタビューに時間を費やした。そして彼らの一途に仕事に打ち込む姿に深く感動した。このような文化を創り出したのはどのような人々か。

日本人の人間性

 日本は自然の富は乏しいが、反対に人間性においては非常に豊かである

 《アメリカの発見が人類史の大事件であったことは確かであるが、その四世紀後の日本の開国は、正反対の性質を持ちながらも、もう一つの大事件であった。北アメリカは、住民はわずかだったが未開発の天然資源にあふれた新しい世界だった。
 日本は自然資源には恵まれていなかったが、そのかわり住民達が国の豊かさを作っていた。日本は自然の富は乏しいが、反対に人間性においては非常に豊かである。
 人々は、つねに社会に役立とうとしている感じが伝わる。その人たちの社会的地位がどれほど慎ましいものであっても、社会全体が必要としている役割を充たそうとする。それでいて全く寛いだ感じである》

職人技

1973年のレヴィ=ストロース(Bert Verhoeff/Anefo, CC0, via Wikimedia Commons)

 木を切る時の西洋の押す文化と日本の引く文化の違いについて、次のように語る。
 《大工の鉋や鋸の引き方、轆轤の回し方は、西欧とはあべこべの様相を見せる。
 職人が同じ注意深さで、内側も外側も、表も裏も、見える部分も見えない部分も手を抜かない。日本の伝統的工芸品にその精神が認められる。
 日本製の小型計算機、録音機、時計などは、領域は異なっても、完璧な出来映えという点で、かつての日本の鍔、根付け、印籠のように、触れても、眺めても魅力あるものであり続けている》
 日本語の「学ぶ」は「真似る」で、職人は師匠の技を見て真似し、考え、工夫し、年数をかけて本物の技に近づく訓練・修行を重ねる。一人前になると「師」を付けて呼ばれる。
 《日本は外国文化を取り入れ、見事に日本風に作り変える。
 日本は歴史の流れの中で、外国から多くの影響を受けてきた。とくに中国と朝鮮からの影響、ついでヨーロッパと北アメリカからの影響である。けれども、私が驚異的に思うのは、日本はそれらを極めてよく同化したために、そこから別のものを作り出したことである。これらのどの影響も受ける前に、日本人は縄文文明という一つの文明を持っていた。縄文文明と比較できるものは、皆無である》
 日本は、外国文化を積極的に取り入れ、日本流に同化させて、新たなものを生み出してきた。最も強い影響を受けた中国の漢字からカタカナ・ひらがなを作り、中国語は話さない。英語は和製英語に派生して一般的に広く使われている。低学年から英語を学んでも、流暢な英語を話さない。文化を守ることはその国の言葉を厳正に守る、という理念が浸透している。

過去から現在への伝承

 科学と技術の前衛(先端)に位置するこの革新的な国が、古びた過去に根を下ろしたアニミズム的(自然界のそれぞれのものに固有の霊が宿るという信仰)思考に畏敬を抱き続けていることは驚くべきことである。神道の信仰や儀礼で、宇宙のあらゆる存在に霊性を認める神道の世界像は、自然と超自然、人間の世界と動物や植物の世界、さらには物質と生命を結び合わせる。
 私が人類学者として賞賛してきたのは、日本がその最も近代的な表現においても、最も遠い過去との連携を内に秘めていることである。それに引き替え私たちフランス人は、私たちに根っこがあることはよく知っているが、それに立ち戻るのがひどく難しいのである。日本には、一種の連続性ないしは連帯感が、永久に在しているのである。

縄文土器

 縄文の土器は、他のどんな土器にも似ていない。年代についても、これほど古く遡ることのできる土器作りの技術は他に知られていない。1万年続いたという長い期間も類を見ない。とりわけ「火焰様式」などの様式が独創的である。
 銅鐸に描かれている文様、埴輪、大和絵、浮世絵などには、表現の意図と手段の簡素さが共通して認められる。これは中国式のふんだんな複雑さからは、およそ遠いものである。

書道・書画

 書家は、たっぷり余分な墨汁を硯で整え、半紙に筆先を下ろす。一気に書き上げた文字の勢い、躍動感が黒の濃淡に浮かび上がる。半紙の白を凝視すると、白が墨の文字の輪郭を形取っている。書道は何も無い紙上に、白の空間を作る芸術である。

料理、絵画、音楽は、他の素材を混ぜない

 《料理では、自然の産物をそのままの状態に置き、中華料理やフランス料理とは反対に、素材や味を混ぜ合わせることを避ける。
 日本料理はほとんど油を使わず、自然の素材をそのまま盛りつけ、それをどう混ぜ合わせるかは食べる人の選択と主体性に任されている。これほど中華料理から遠く隔たっているものはない。
 日本料理は「見た目も味のうち」と、盛り付けや器にもこだわる。寿司の盛りつけも、同色のネタが整然と並べられる》

絵画・版画

 《木版画は線描と色彩とが独立しており、表現力豊かな線と平面的に塗られた色彩が特徴である。この相互の独立は、他のどの技法にも増して版画がよく表現できる。線(輪郭線がはっきりとしている)と色彩の二元性である。
 純粋な日本のグラフィック・アートも純粋な日本料理も、混ぜ合わせることを拒否し、基本的な要素を強調する。
 日本人は、音も、色も、匂いも、味も、密度も、肌理(きめ)も、区別し並列し取り合わせる》
 版画では、有名な「北斎ブルー」の青、浮世絵の鮮やかな赤=丹、紅など、単色の塗り重ねや平面的な色の濃淡によって奥行きを表現する技法が特徴である。
 以上、引用が大雑把とお叱りを受けるかもしれないが、「レヴィ=ストロースはかく語りき」と、彼の日本文化論から、その断片を引用した。そこには、日本人が改めて日本を再確認するためのヒントが溢れ、その中から一つを取り上げても、にぎやかな日本論議を展開することができるであろう。
 レヴィ=ストロース自身が、自分の日本観察の理由を次のように語っている。

 「私が日本にいる理由は、日本人が自分たちを見るという機会を提供するためだと思う」と。

 最後に最も心に残ったレヴィ=ストロースの名言を紹介したい。

 「このように日本文化は、東洋に対しても西洋に対しても一線を画している。日本文化は今日、東洋に社会的健康の模範を、西洋には精神的健康の模範を提供している」

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