小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=18

 コーヒー採集用のラステーロ(地面に落ちたコーヒーの実を掻き集める熊手)の柄に水樽の把っ手を通して背負った太り肉の女、ペネイラ(篩)を輪転がしにしてゆく少年、黒人、白人、原住民との混血、ポルトガル、スペイン、イタリアそれに日本からの移民をまじえた雑多な労働者が、まだ明けやらぬ野の道を往く。墨絵の移動のようだ。
 律子は、近ごろ急に親しくなった八代房江を待っていた。同じ航海の仲ではあるが、船内では船室が離れていたため馴染みは薄かった。しかし、同じ耕地に入植してから互いにもたれかかるような生活で、睦まじくなっていた。
 房江は目鼻立ちのよく整った娘で、肌の日焼けを防ぐために布で頬被りをし、大きな麦藁帽子をかぶっていた。眼と口だけの顔を律子に向けた。
「お母さんの具合はどうな」
 と訊いた。彼女の家族は熊本の出身で、房江はなるべく標準語を遣うよう心がけていたが、やはりどこかに訛りがあった。
「それが、少しずつ痩せてるみたい」
「どこかに病院でもないとだろか」
「みんなにすまん、すまんと言って、『こんなのが病気なら、乳がなくて痩せ細ってしまった末っ子の稔も駄目かもしれないし、お前の腫物だって我慢してるんだろ。みんなが病んでいるんだよ』と、淋しく笑ってるわ」
「そう言えばそうだよね。私この間、足の爪が痛かもんでよう見ると、まあどうな、小さな蚤がくいこんどるたい。ああた、隣の毛唐に見せたら、犬や豚の足に棲みつく砂ビッショちゅうもんげな。たまがった」
「私の腫物にも蝿がきて、膿で濡れている脚絆の上から卵を産み付けるの。卵でなく蛆を産み落とすのもいるわ。知らずにいるとその蛆ができものに棲みつくのよ」
「ほんに泣こうごたる。何してこぎゃん国へきたとでしゅか。人間より害虫が多かごたある」
 房江は砂蚤を取り出した後が化膿して靴が履けず、片脚は草履をつっかけていた。
 コロノ住宅の周囲は牧場になっていて、家畜の数が多く、その寄生虫は人間にも容赦なく襲いかかるのだ。他にも、家畜には無害のマラリア、シャーガス病、アメーバ、梅毒の症状を起こすフェリーダ・ブラヴァ(森林梅毒)などに罹りやすく、マラリア病などは全国いたる所で発生していた。
 ペンナ駅管轄では平野運平が世話をした植民地で、マラリアの悲劇を大きく取り扱ったが、他の地域でも同じような悲劇が繰り返されていた。

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