日本の若者、ブラジルで何を得た?=ブラジル日本交流協会生体験談=(3)=上野晏さん

上野曇さん
経歴:上野晏(23歳)。中央大学総合政策学部を2022年3月に卒業し、4月からアルモニア学園で研修。趣味は旅行と写真を撮ることとビール。ギターもブラジル滞在中に練習して少しできるようになった。
上野晏さん 経歴:上野晏(23歳)。中央大学総合政策学部を2022年3月に卒業し、4月からアルモニア学園で研修。趣味は旅行と写真を撮ることとビール。ギターもブラジル滞在中に練習して少しできるようになった。

 2015年、高校生の私は初めてブラジルを訪れた。1年間の滞在期間中、ポルトガル語も全くわからない私を、ブラジル人の友人やホストファミリーは温かく受け入れてくれた。全く知らない国に行ってみたいという理由だけでブラジルを選んだが、その居心地の良さからブラジルが大好きになった。
 帰国後、アルバイトなどで多くの外国人と関わった。彼らは時折、日本の居心地の悪さを口にすることがあり、私はそのことに衝撃を受けた。彼らにも私がブラジルで感じた居心地の良さを感じて欲しいと思った。
 大学では難民、移民問題を中心に勉強し、日本語教育や外国人移民子弟への教育に関心を持つようになった。ブラジルやベルギーなど、様々な民族が暮らす国に留学して移民子弟の教育について学びたかったが、コロナで行けなくなってしまった。
 日本の公立小学校がマイノリティ(外国人や障害者)生徒をどう扱っているのかが気になり、家の近くの公立小学校の学童でアルバイトを始めた。
 学童に外国人の子はいなかったが、障害を持つ子は多くいた。日本の学校では障害を持つ子は特別支援学級に分けられるが、学童ではみんな一緒に過ごしていた。子どもたちは障害を持つ子のできる部分を尊重し、できないこと助けていた。その姿は非常に印象的だった。
 私は日本社会にマジョリティ(多数派)とマイノリティ(少数派)を分ける壁のようなものを感じていた。それは制度や法律だけではない。いつから私たちはマジョリティとマイノリティを区別するようになるのだろうか。さまざまな民族が尊重しあって暮らし、外国人の私も居心地が良かったブラジルのマイノリティ教育を知りたいと思った。
 就職が決まっていたが辞め、研修プログラムに参加することにした。
 研修参加者の多くはポルトガル語を学びたい、ブラジルの文化を知りたい、成長したいといった理由で参加する。
 私はブラジルの教育について知りたかった。日本語教育に興味があるから日本語教師の資格も取った。研修先にはアルモニア学園を希望した。希望は実現した。
 アルモニア学園での研修は、私のようにブラジルの学校にどっぷり浸かりたい人には、うってつけだった。有難いことに、やりたいことはやりたいと言えば何でもさせてもらえた。
 でも、仕事内容の説明や指示が無いことがあったり、他の先生が「どうして日本語の授業だけでなくいろんな授業にいるの?」「どうせお金たくさんもらってるんでしょ?」と私の研修生という立場を理解していないことなどがあり、戸惑うことも多かった。
 一時期は何から何までやろうとして、肌荒れや過食、便秘など体に不調を感じた。それでも得られたものは多かった。日本語の授業だけではなく、英語や日本文化、歌、手話教室など様々なことに挑戦できた。
 1日約10授業に参加し、400人近くの子どもたちと関わった。全員の名前、好きなもの、嫌いなものを覚え、大変だったが教え方を各人によって変えた。
 子どもたちからは日々元気を貰えた。それでも生徒たちの持つ「先生」「大人」「日本人」のイメージに応えようとして、へとへとになることが多かった。自分の行動に自信が持てない日も多くあった。
 研修の終わる3月、子供たちがサプライズでお別れ会を開いてくれた。たくさんのプレゼントと手紙を貰い、子どもたちは私との別れを惜しんで泣いてくれた。日本語と英語の勉強を頑張るとも言ってくれた。
 その時ようやく、自分が1年間、愛をこめて子どもたちと接していたことはちゃんと伝わっていた、やってきたことは間違っていなかった、と自信を持つことができた。
 アルモニア学園では、障害を持つ子たちを周りの生徒が、日本の学童で行われていたのと同じように、サポートしていた。
 もちろんブラジルにも差別やいじめはある。それでも日本に比べて、「普通の日本人」と外国人、障害者を区別するような心理的な隔たりは少ないように思えた。ブラジルでは、肌の色が違う人や、障害を持つ人が身近にいることが当たり前だ。違いを尊重し、助け合う、もしくは気にせず自分らしく生きることが小さな頃から身についている。ブラジルの素敵な部分だと思う。
 楽しい思い出で溢れた1年目のブラジルに比べ、2年目のブラジルは大変なことも多かった。言葉は特に問題なかったが、働き方の違いや根本的な考えの違いから戸惑うことも多く、その違いを理解出来ずに悩むこともあった。
 しかし、大変だった分、得たものは本当に大きく、間違いなくブラジルに来て良かったと言い切れる。
 私はこれから、自閉症やADHDなどの発達障害の子をサポートする放課後デイサービスで先生として働く。学童やアルモニアで出会った子どもたちの様に、マイノリティ生徒の得意なことを伸ばし、苦手なことをサポートするにはどうしたらいいのか、もっと勉強し、対応できるようになりたいと思ったからだ。将来のことはまだわからないけれど、子どもたちが周囲の人との違いを尊重できるような人物になることを手助けできればと思う。

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