日本の若者、ブラジルで何を得た?=ブラジル日本交流協会生体験談=(5・終)=石山恵生さん

石山恵生(さとみ)さん(東京都出身、23歳)。上智大学外国語学部ポルトガル語学科に在籍し、研修制度に参加。研修先はサンパウロにて飲食店や日本食の貿易業を手がける大和商事。趣味はポケモンのヤドングッズ収集。

 大学1年生の時、私は内気で自信のない自分に焦燥感を感じていました。大学に入学してからというもの、周りと自分を見比べ、劣った人間だと落ち込むことが多かったからです。人見知りで意見もまともに言えない自分や何に対しても消極的でやりたいことすらわからない自分に、とことん嫌気がさしていました。「このままでいてはいけない」そんな気持ちに駆られて、価値観を広げるべく夏休みに両親の古い友人を頼ってブラジルに1カ月間滞在しました。
 出会ったブラジルの人たちは本当に温かく私を受け入れてくれました。言葉が全く通じなくてもみんな理解してくれようとします。誰もが快適に安心して居られる、そんな人の和がそこにはありました。
 ただの外国人である私を受け入れ、仲間に入れてくれた喜びと、自分にはない彼らの気さくさや自由さ、柔軟さへの憧れからブラジルが大好きになりました。
 この国で暮らせば「生きにくさを解消して明るく楽しく暮らせるヒントを得られるかもしれない」「自発的で活発で自信のある人間に生まれ変われるかもしれない」という期待を胸に、大学在学中に必ずブラジルに留学しようと決めました。
 しかし、新型コロナウィルスのパンデミックによって大学が渡伯を禁止したことで、その希望は思うように実現できませんでした。
 「このままやりたい事もできず、自信の無いまま社会に出ていいのか、息苦しさを感じたまま生きていくのか」そんな危機感から私は就職を見送り、ブラジル日本交流協会の研修プログラムに応募しました。
 私は協会スタッフの協力を得て、大学との渡伯交渉に臨みました。沢山の人たちの力を借りて、現地のリスク状況や研修先企業におけるワクチン接種状況などの資料を作成した結果、大学から特例措置の許可が下り、念願のブラジル研修を果たせました。
 到着直後の生活は何もかもが新鮮に映りました。ギラギラした日差しに色とりどりのフルーツが並ぶ市場、路上やビルに描かれる大作のグラフィティやその場所時間構わず歌い踊る人々。
 「ああ、本当にブラジルに来たのだ、これから私は新たな自分に生まれ変わるのだ」
 喜びと期待に高ぶる気持ちを抑えられませんでした。
 しかし、やはり慣れない環境への戸惑いや言葉の壁、限りある時間で出来る限りのことを経験する1年にしなければというプレッシャーは重く、体調を崩すことや塞ぎこむことがしばしばありました。
 ブラジルに来た他の研修生たちと比べ、同じように上手くやれないこと、ブラジルに来てもなお内気で変われない自分への苛立ちで自責の日々が続きました。
 しかし、ふと周りのブラジル人たちを見渡せば、そこには実に多様な人生の生き方がありました。
 大学に通いながら毎日働く人、本当にやりたいことを追求し、何度も大学や職業を変える人、全国各地を車で巡りながら商売をする人、電車の中や車の信号待ちの間に演説や演奏、大道芸をして生計を立てる人。
 誰も他人と同じように生きようとは思っていません。みんなそれぞれのストーリーがあって、自分なりの人生を送っていました。
 「じゃあ、本当はあるべき正しい姿なんてないのかも、私も無理に変わる必要はないのかも、本当の自分を受け入れて生きてもいいのかも…」と良い意味で肩の力を抜くことができました。
 実際、そう考えるようになった今が一番自由で楽しいです。ブラジル研修生活から人生における大きな贈り物を受け取ったと感じています。最後になりますが、この1年間を支えて下さった全ての皆様にこの場をお借りして心より感謝申し上げます。(連載終わり)

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