連載小説=自分史「たんぽぽ」=黒木 慧=第141話

 夫婦間の愛はお互いに助け合う、かばい合うと言うところにある。私達二人はいとこ同士という気安さがあるのか、ついつい生活がうるおいを失いがちになる事もみられたけど、時には相手方の喜ぶような「ホメ言葉」も与えられたら良い。
 (四) 私達にとって対人関係とは……私は生まれつきが引っ込み思案で、人とのつき合いは余り上手ではない。気の合う人とは結構話は弾むけど、人前であまり自慢話をするのに抵抗を感じるし、冗談を言うのも下手だし、ピアーダも余り知らないし、昔経験したことはすぐに忘れてしまうし、余り社交的ではないようだ。その点美佐子は人との交わり方が非常にうまい。他人を怒らせない様に他人の気持ちを引きつける話術や行動力を持っている。だから他人から良く好かれるし、信頼される。彼女の夫として私も嬉しい限りだし、私自身、彼女の行動力に引き込まれれて、家庭以外の所では、他人から見れば、黒木夫妻は仲睦まじく幸せそうに見えるのだろう。
 若い頃は仕事一本で、遊ぶ心の余裕もなかったけど、仕事に関してのつき合いや、隣組としての部落や区会でのつき合いはあった。私達はブラジルに移住してから現在まで、ずうっとサンロッケで暮して来たので、サンロッケを中心とした交際が殆どであった。一番の小さなつき合いの単位は、カングエーラ区とカルモ区、そしてヴァルゼン・グランデの人達が主であった。ブラジル人とのつき合いは、自分の仕事に働いてくれるカマラーダや、借地させてくれる地主や子供達の名付け親のカトリック関係の人達であった。
 私が四十五歳になった頃からつき合う範囲が少しづつ広くなって行って、初訪日の一九八〇年頃よりセアーザの花弁生産者組合とか、県人会とかコチア青年連絡協議会など、サンパウロ市の中心に出向く事が多くなり、人づき合いがあまりうまくない私だったけど、いったん役職についたら、真面目に積極的に動く性分なので皆から頼まれ、押し上げられて、履歴書にも書いているように、いくつもの重要役職をこなして来た。この様に役職がこなせたのも、私には自由な時間がとれたということであった。私は仕事の経営に於いて、自分の自由な時間を作るために、それで仕事が停滞しない様に、エンプレガード(使用人)の教育をして来た。長い菊作りの期間、ジョーナスを信頼して販売を任せた。この様に社交範囲も、ブラジルの日系社会でかなり広く、私達の名前も認められる様になった。

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