連載小説=自分史「たんぽぽ」=黒木 慧=第75話

 一月十五日(火)、昨日は主にサンフランシスコ大河の南側を見たのであるが、今日はその河の北側ペルナンブコ州を歩くことになった。ジュアゼイロから橋を渡るとペトロリーナの街である。その街を中心に半径二五㌔位にプロジェクト・ニーロ・コエリョが拡がっていて、私達コチア青年の入植候補地として魅力あるプロジェクトである。二〇~三〇㌶の規模をトラトール一台あればポンプは要らない。プロジェクトの高圧ポンプで水は配られるからだ。
 その次は河を小船で渡って、 〈バイアに夢をかけろ〉と私の心に火をたきつけた、前述の七十七才の青年、大谷参雄さんの農場を訪ねた。
 大谷参雄さんは前立腺を患い、サンパウロで手術を受けた後でもあり不在であったが、息子の満さんが案内してくれた。三十七才の彼は大学出でサンパウロ水道局の技師として何不自由ない生活を享受していたのに、わざわざ文明に取り残されたこの田舎に飛び込んだのである。大谷農場ではトマト加工のCICA社との契約で加工用トマトを三〇㌶植付けていた。そこに別れを告げ、もと来た河を渡り、ペトロリーナ市を通り過ぎて、ソブラジンニョ大ダムのそばにある小高い山の山頂からペトロリーナとジュアゼイロの町並みを眺め、その背後に海のごとく拡がるソブラジンニョの湖が夕日にきらめいていた。バイア州で夕食をとり、ペルナンブコ州の新良貴さんの自宅で風呂を浴びて、又バイア州のジュアゼイロ市に戻り、夜、十時半発のゆったりした寝台車でバイア州の首都、サルバドールに向かった。翌朝六時、荷物を飛行場に預けて、市内観光に出かける。この地のみやげ物はエビの塩干し、革製品、ピンガ詰め、サンフランシスコ河の守り神、カランカの木彫りなど。
 空腹だったので、純粋のバイア料理を注文したら、デンデー椰子油の匂いのきつさにのどを通らない。その上値段は普通の倍位もとられた。十五時十五分発の飛行機でサンパウロへの帰途につく。甲斐さんの奥さんと私共の次女、恵美は初めての空の旅とあって、すごくご機嫌であった。
 この度の旅行はサンパウロ近郊で細々とうだつの上らぬ、農業を営んでいる私を含めたコチア青年達に、何か将来性のある新たな進出先はないものだろうかと、大谷さんの話に引かれて、実行したものであった。結論として幾つかの候補地は考えられたが、その中で、南バイアのテイシェイラ・フレイタスより北、ジェキチンニョ川までの年中適度の雨量の地帯と、ペトロリーナのプロジェクト・ニーロ・コエリョのエンプレザリオ・メジオに私達の可能性を感じた。でも、実際に進出するとなるとそう簡単には行かない。私達自身の事業としては思い切りもつくけど、子供達の教育とか、その他のことを色々考え合わせると、結局バイア進出は実現しなかった。これも私たちの場合、電照菊栽培がその後、着実に利益を上げていたからかも知れない。

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