日本育ち日系人への期待と現実=新人4世記者が聞く=第5回=文武両道、夢は多言語通訳者

岩本マサヒロさん

 岩本さんは中学校でも成績は良く、英語の成績は学年上位。社会科目は苦手でテストで1桁代の点数をとることもあったが、他教科の成績でカバー。部活はバレー部に入部し、生徒会長にも選ばれた。「充実した中学校生活だったと思う。小学校の時みたいに〝特別扱い〟されるのが嫌で、入学当初は周りに溶け込もうと頑張っていた。だから他の生徒と公平に扱ってもらえるだけで学校生活は楽しかった」と語る。
 中学3年生の時までは、地域一番の進学校への進学を目指していたが、参加していたバレーボールクラブチームの監督に師事するため、同クラブチームと繋がりのある公立高校に進学した。
 高校生活はバレー漬けだった。その甲斐あって、部員数たった8人にも関わらず県大会で4位に入り、北信越大会に出場した。北信越大会では残念ながら1回戦で敗退した。
 部活動引退後は頭を切り替えて、受験モードに突入した。これまでも成績は学年上位を維持し、2年生の時には生徒会長に選ばれるなど模範的な学生だった。最初は国公立大学を目指していたが受からず、唯一受かった京都外国語短期大学に進学した。進学直後は通学しながら来年の他大学受験を考えていた。
 しかし、現在は外語大特有の多文化交流機会の多さに魅力を感じ、同校4年生大学への編入を目指し、大学卒業後は外国への留学を考えている。
 岩本さんは「バイト先にも外国人が多くて、英語が上達した。将来は多言語通訳者として食えるようになりたい。そのためには言語を学ぶだけでなく、その国の文化も学ばないといけない」と夢を語った。
 岩本さんは幼いころから、あまり日本語が分からない両親やブラジル人の友人の為に、日本語とポルトガル語の通訳を行ってきた。外語大への進学と専門性の高い英語の習得は、彼の培ってきた通訳能力をより向上させるだろう。
    ◎
 記者は、岩本さんとは幼稚園からの幼友達だ。同じ小学校に通い、学年には5人日系ブラジル人がいた。日本の高校を卒業したのは彼と私だけで、ほかの3人は小学校低学年時に帰伯してしまっていた。私が高校卒業後、帰伯することを彼に明かした時には「俺を置いてくなよ。今までエリケがいたから、寂しくならずに、学校も頑張ってこられたのに」と笑いながら語っていた。(続く、松永エリケ記者)

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