日本育ち日系人への期待と現実=新人4世記者が聞く=第2回=いじめ耐えるも、卒業目前で帰伯余儀なく

上田ミレーニさん

 サンパウロ州サンジョゼ・ド・リオ・プレト市在住の上田ミレーニさん(22歳、4世)は日系人の両親のもと、長野県で生まれた。幼稚園までを日本で過ごし、いったん帰伯。2008年にまた日本に戻り、小学2年生のとき、公立学校に転入した。
 「最初のほうはすごい苦労したなー。日本語ゼロだったし。日本の子たちとは違って、体も細くなかったから、みんなから変な目で見られてた」と懐かしそうに語る。
 1年後には日本語もすっかり上達し、難なく会話ができるようになった。「日本のアニメと漫画が好きだったから、すぐに日本語が上達したの。少女漫画雑誌の『リボン』とか『ちゃお』、ファッション雑誌の『セブンティーン』をよく読んでた」。少女漫画にはふりがなが振られていて、日本語の勉強に役立った。
 一方で、ブラジルの学校よりも進みの早い算数は苦労し、6年生まで補講用の特別教室に通っていた。日本に関する教養の蓄えがないために社会の勉強も苦労したという。
 中学校に進学すると、勉強面での負担はさらに増えた。加えて、いじめも受けるようになった。「1階の保健室の中庭を掃除してたら、バケツ1杯分ぐらいの水がバシャとすぐ横に降ってきてすごく驚いた。すぐに上を向いたら、3階にいたイケイケ女子達が『チェッ』って顔してた。私にかけようとして失敗したんだなと分かった」という。
 他にも「机に『死ね』って書かれたり、制服を隠されたこともあったな。机に花を置かれたこともあった。当時はその意味が分からなくて、素直にきれいだなと思ったけど、今考えれば違う意味があったんだね」と次々にいじめ体験を振り返った。
 いじめによる精神的な負担は大きかったが、仲の良い日本人の友人に助けられ、いじめは最終的にあまり気にならなくなったという。
 いじめの原因については、「正直思い当たる点が無いんだよね。多分この見た目なのに、はしゃいでたからかなー。そいうのを、イケイケ女子達は嫌ってたんだと思う」と首を傾げる。
 中学3年生になり、受験期に突入。志望校を地元の女子高に決め、勉強にも本腰をいれたが、母から突然「ブラジルに帰るよ」と告げられた。理由は両親の離婚。両親の様子から薄々勘づいていたミレーニさんは、それほど驚かなかったという。
 「前からお母さんに、なにかあったらブラジルに帰るよって言われてたの。だから、そこまでショックではなかった。でも卒業式でみんなと旅立ちの日を歌いたかったな」と懐かしんだ。(続く、松永エリケ記者)

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