日本育ち日系人への期待と現実=新人4世記者が聞く=第6回=日本生まれでも再適応には一苦労

坂本アガタさん

 坂本アガタさん(20、4世)は、サンパウロ州アラサツーバ市出身の両親のもと、デカセギ先の長野県で生まれた。ブラジル人学校へは通わず、日本の公立校へ通い、日本語も気づいたら話せるようになっていた。学習進度などに問題は無かったが、小学校2年生の時、男子から見た目や名前をからかわれる嫌がらせを受けるようになり、隣町の小学校に転校した。転校先では問題なく過ごした。
 このまま日本で過ごすと思っていたアガタさんだったが、2011年に家族でブラジル旅行した時に転機が訪れた。旅行中に東日本大震災が発生したのだ。
 両親は大規模災害の発生を機に、日本での生活に不安を抱くようになった。ブラジルに暮らす祖父母の体調悪化も重なり、急きょ帰伯を決定した。
 アガタさんは帰伯後、両親の地元であるアラサツーバで6年間を過ごした。ブラジルでの学校生活はそれほど苦労しなかった。数学は日本の方が進度が早く、国語(ポルトガル語)も日本で知り合いの元で学んでいたため、授業クラスを飛び級して学んでいた。
 アガタさんにはポルトガル系の血筋も入っており、一見して日系人だとはわからない。苗字を知って初めて日系人だと気付かれるという。学生時代、物を盗まれたことがあった。目を付けられた理由は「日本に住んでいたことが知られ、金持ちだと思われたから」だという。
 両親の失業と転職を機にサンパウロ州タウバテに転居。現地の私立高校に入学した。作文と英語が得意だった。洋楽を歌うのが好きだったこともあり、英語の成績は良かった。
 高校卒業後はブラジルでの大学進学を考えていたが、両親の日本就労が決まり、アガタさんも日本へ行くこととなった。
 居住先は島根県だった。着いた最初の数カ月はすることが無かった。日本語のオンライン授業を受けていたが、教えられる日本語が簡単すぎて嫌になった。
 コンビニで1カ月間働いてみた。日本語に自信はあったが、郵便関連や公共料金振込など高度な日本語を使う仕事は自分にはできないことが分かった。ブラジルに約10年間いる間に語学力が落ちていたことを痛感した。
 「小さい頃は流暢に喋れていたのに、今では喋れないし、ほとんど理解できない」と話す。
 「ブラジル文化に一度適応した分、日本で友達を作るのはむずかしいと感じてる」という。日本生まれ日本育ちで、日本語がある程度出来たとしても、日本への再適応にはかなりの努力が必要なようだ。
 アガタさんは将来、アイルランドへ移住したいという。「英語が学べて、仕事ができるから行きたいの。今の仕事を早く抜け出したい。早く自分も人生の一歩を踏み出したい」と語った。(続く、松永エリケ記者)

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