連載小説=自分史「たんぽぽ」=黒木 慧=第60話

 夕刻、私が生まれ育った畑浦の浜の我が家を訪ねた。でも、そこには私達の住んでいた家は跡形もなく、 旭化成の大きな倉庫が建っていた。その帰途、私の親友、黒木敏雄兄を訪ねた。彼は土建業で大成し〈木 倉建設〉の社長であり、日向市の市会議員である。昔の彼の畑であった所に立派な家屋と事務所倉庫が あり、落ち着いた生活ぶりがうかがえた。そこで又二十五年の空白を埋めるべく話に花が咲いた。そし て彼は言った「もしブラジルで生活が苦しかったら、いつでも帰って来い。出来るだけの協力はするよ」。
 そう言われた私自身に対するよりも、そんな事が言えるほど成功した友がそこにいることが嬉しかった。
・三月三十一日(月) ひとまず日向での大事な行事が終わり、招待客もそれぞれ帰って行き、残された 私達はまだ風邪がひどく、特に美佐子は熱で汗びっしょり。近くの山口病院で診てもらう。天理から参 加した智英も三十九度の熱を出して苦しんでいたけど、その熱をおして天理に帰って行った。
・四月一日(火) 〈四月ばか とり逃がして にが笑い〉エイプリルフールの日である。風邪の後は咳 が残って一日中ゴッホンゴッホン、でも寝たきりは良くないので、無理に起きて、七海の運転で美佐子 の父、伝松の墓参り、それから市内見物、節の山。米の山の展望台から発展途上の日向市の展望はすば らしい。そのあと、又私の生まれ育った畑浦に行き、懐かしい昔をしのぶ。その昔、私と隣近所で付き 合っていた人達は強制的に港の山沿いに市に提供された土地に家を建てて暮らしていた。二十五年の歳 月の間に、面影は残ってはいても、皆ずいぶん年老いていたし、大分の人が亡くなっていた。でも、皆 私達の帰郷を喜んでくれた。
・四月二日(水) この日は宮崎の県庁訪問の日である。県庁別館の海外協会内の宮崎ブラジル親善協会 を訪ねた。在伯宮崎県人会長の壱岐さんからのことづけを渡す。そのあと松形県知事を表敬訪問光栄で あった。記念として立派な国旗たてと焼き物をプレゼントされた。県庁の農政水産部を訪ねた時、悟の 宮崎での農業研修合格の通知を知らされた。県庁を出て、午後はタクシーに乗り、青島、巨人軍のキャ ンプ地、大がかりな日本庭園、堀切峠など観光して、又日向に帰って来た。
・四月三日(木) 昨夜は此晑教会の山岡さん宅に泊らせて頂き、ご家族の温かいおもてなしに感激する。 そして母ぬいや兄知足やその娘達が此処でお世話になった時のことなど色々聞かされて、その山岡さん ご家族の親切にどの様にお礼をのべれば良いのか、その言葉が見つからなかった。

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