連載小説=自分史「たんぽぽ」=黒木 慧=第59話

 その後、山岡宗喜さんと丸子さんにフェリー乗り場に案内され、私達二人と母さんの三人での十四時間の船旅が始まった。波静かな瀬戸内海から紀伊水道を抜け、四国の沖を日向へと向かう。薄明かりの右げんに足摺岬を眺め、フェリーは進む。日向着は午前十一時四十五分とか。午前一〇時前から日向の山並みが遠望できるようになると急に懐かしさがこみ上げてきた。乙島・門川の港・竹島・余島、懐かしさに船を右に行ったり左に行ったり。感激に涙が次から次へと湧いてきて、それを抑えるのに苦労した。二十五年以上の昔、この港造成にオンボロ船に石や砂を積んで動き回ったあの頃が思い出された。
 予定通り十一時半頃梶木の船着場に接岸、末妹の七海達の出迎えをうける。二十五年ぶりの七海。五児の母である。七海の友達の元山さんの車で曾根の山岡先生の教会に参拝。奥さんの勝ちゃんの歓迎をうけて感激する。母達が大変に世話になったお礼を申し述べ、この度、無事に帰国できたことを神に報告させて頂いた。
 そこで昼食をご馳走になり、午後、これからお世話になる、七海達の日の富分教会に到着する。そこで七海の夫、昭征氏を紹介される。誠意あふれた、正直で温厚そうな青年に感じられた。いかにも聖職者にふさわしい。ここでは三日後に迫った黒木家の法事に間に合うべく、家の改修中であった。私も少しひのきしんで手伝った。
・三月二十八日(金) 美佐子は政子母さんと共に明日二十九日に彼女のふるさと、熊本県泗水町で予定 されている同級会に出席するべく、早朝七時前に風邪を押して出発して行った。そのあと私も風邪がひ どくなり、ついに床に伏してしまった。
・三月二十九日(土)一日中 床の中。
・三月三十日(日)この度の訪問の最も大事な行事が今日の祖 先の法要と墓石の除幕である。すべてが天理教の儀式により 行われた。
  曾根の此晑教会に於いて、午前一〇時より山岡先生親子の 司祭で、黒木家祖先の法要、そのあと、畑浦の高台にある墓 所の黒木家代々の墓石の除幕を行った。午後は場所を富高の 草場の日之富分教会に移し、宴会に移る。出席して下さった 私の親族は十七名で、次の方々である。
  池上サト、野田ナカ(以上叔母)、成合袈裟義、三樹重男、 三樹伝蔵、三樹宇三郎、日高親男、柏田公和、 金子克己、  黒木公一郎、黒木きくえ、古吉祥子、木下妙子、金子亮一(以上、
 いとこ)、山岡勝子、山 岡宗喜、黒木政子、それに私の母ぬい。 智英と美津子。

最新記事