連載小説=自分史「たんぽぽ」=黒木 慧=第36話

    長男・悟の誕生と第一回コチア青年移民大会

 一九六一年が明けて間もなく、コチア青年代表の山口節男さんが我が家を訪ねて来て「黒木美佐子さんに花嫁代表として日本に行ってもらい、全国を廻って後続花嫁募集に協力してほしい」との相談を持って来た。もうすでにバルゼングランデ在の日比野由美子さんが定っているので、美佐子もその人と二人して訪日してほしい、と言うのである。
 私達も美佐子がそれに選ばれたことは光栄であり嬉しい気持ちで一杯だったけど、まず、これは無理な相談だった。と言うのは美佐子のお腹には二番目の赤ちゃんを身籠っていたからである。もう、つわりがひどくなっていた。残念ながら断るより仕方なかった。あとで美佐子の代わりに地坂さんが選ばれ、日本で美智子妃殿下とお会いしたりして新聞紙上を賑した。
 第二子の悟が生まれたのは八月二十六日であった。この赤ん坊も同じく逆子で生まれたけど、長女の時と同じ、サンロッケの産婆さんに取り上げてもらい、その後もすくすくと丈夫に育って行った。
 長男、悟が生まれて間もない九月十五日、コチア青年移住が始まって七年目に初めてのコチア青年移民大会がコチア組合ジャグヮレー総合倉庫に於いて開催された。日本の送り出し関係機関からも蓮見(はすみ)農協中央会会長、宮城国際農友会副会長の来賓を迎え、ブラジル側コチア産組の井上理事長はじめ、トップメンバーを招いて総勢七〇〇名の参加者であった。時の大会委員長は山口節男であった。この大会開催に当たって、当時のコチア産組の一部の幹部から青年達の労働運動でないかと警戒されたそうだけど青年達の本意はそんなものではなかった。
 コチア青年移住に際して発案実践して来て頂いた日伯の恩人達への感謝の気持ちを表明し、亡くなった恩人や同僚達に哀悼の礼を捧げ、コチア青年相互の団結を計り、お互いに連絡を取り合いながら前進しようと言うのが目的の大会であった。その席で美佐子はコチア青年の花嫁代表として所感を発表した。その時、最後の結びのところで・・・「ふと主人にあなたは幾才になるまで青年ですか?」と問いますと、彼は「九十歳になっても老人ではなくコチア青年だ」と答えました。「ならばそのコチア青年の妻である私達も共に白髪の生えるまで花嫁であることを忘れたくないものです」と発表した。その言葉が有名になって、事あるごとに新聞、雑誌に取り上げられ、又、日常会話にまで登場したりして、現在に至っては益々、その言葉が重みに増しているように思えるのである。

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