連載小説=自分史「たんぽぽ」=黒木 慧=第30話

    結婚と独立

 ところで、この様なことがあって、私の嫁探しは終わり、美佐子の来るのを一日千秋の思いで待つ様になった。いよいよ独立の準備が始まった。森田さんの世話でサンロッケの町から四㌔の所にあるイリネウ・デ・モラエスの二アルケールの土地を借りて、そこにバタタを植える事になったのである。
 まず、土壁の家を建てるのに森田さんの土地のユーカリ材を提供して下さり、現場まで運んでくれた。
私の労務契約期限は九月十五日なので、自分の家の材木を切ったりするのは時間外や日曜日などを利用した。
美佐子の到着が八月十五日、大阪商船の新造船あるぜんちな丸で、コチア花嫁移民第二陣である。花嫁監督はコチア産組移民課長の山中弘さんと聞いて安心した。いよいよ待ちに待った花嫁到着の日がやって来た。
この日の花嫁出迎えの準備は私の心配を森田さんが先取りして、私のためにスケジュールを組んでくれた。奥さんの千代子さんは私達が最初に泊まる部屋の準備もして下さった。
 森田さんの農場の隣の塩見進さんの農場に、私と一緒にモインニョ・ベーリョの試験場で講習を受けた松川君と一緒に、群馬県出身の堀込正二君が働いていた。彼もこの年の十一月に契約が切れるので独立の準備に入っていて、彼の花嫁さんも美佐子と同じ船のグループで来る様になった。私と堀込君は申し合わせて、サントスの港まで汽車で行こうということになった。私達の近くにカングエーラと言う汽車の駅があって、その鉄道はサントス港まで直通でつながっていた。当時の汽車はまだ薪で走る蒸気機関車であった。
 その日は小雨のちらつく寒い朝だった。二人共こうもり傘を持って汽車に乗り込んだ。汽車の揺れはひどかった。海岸山脈の峠を越えると眼下にサントス港の景観が大きく拡がっていた。汽車を降り、船着き場へ急いだ。あるぜんちな丸の大きな船体が眼の前にあった。森田さんももうすでにトラックを運転してそこに着いて私達を待っていてくれた。雨は止んでいた。あるぜんちな丸のタラップが下りて、その上で花嫁達が傘を手にたむろしている。やがて乗船が許されてそれぞれカップルの出会いである。私も写真で見ている女性を探した。直感ですぐ見つけた。やはり私達、黒木家の類似性の故なのか、手を握った。「やぁ、いらっしゃい。よく来てくれたね」それからしばらく言葉にならなかった。彼女が何を言ったのかよく覚えていない。

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