我れ、生まれ出づる国を訪れる3=ポルト・アレグレ=杉村士朗

 翌日、来た道を引き返した。
 初秋の男鹿半島の空は青く澄みわたり、早朝の日の柔和な陽光が降り注いでいた。濃緑樹林に覆われた小高い山々を背景に黄金色に実った稲田があった。
 夫婦と思われる二人の農民が、黙々と刈り入れをしていた。
 その時、私の胸は初恋の如くドキッと高鳴った。
 自分の生れ出た国の自然があまりにも静寂で平和で美しかったので、不意に感動に襲われたのだ。そして、始めて目にする風景にもかかわらずどこかで見た事があるような気がしてならなかった。
「あ!そうだ!」
 ゴッホが描いたアルルの農村風景画にそっくりだったのだ。
 私は、ゴッホの足跡を辿って、アルル地方を旅したがアルピーユ山地は遠くに低く見えるだけだった。それに比べれば、この男鹿半島の方が独自の遠近法を駆使したゴッホの画面そっくりだった。
 私は、この美しい農村風景をぜひとも写真に撮りたかった。だが、乗客のまばらなバスはたんたんと走り続け、一向に停車する気配がなかった。
 私はカメラを手に、車内を右往左往した。
 私は、運転手にこう言いたかった。
 「38年ぶりに生まれた国に戻って来た、ブラジルに住む一人の日本人です。母国のこの美しい豊かな自然を写真に撮り、思い出としたいのです。少しの間だけ、バスを停めてもらえないでしょうか?お願いします。」
だが、私はこらえにこらえた。
 私は石を持て追われる如く、故郷を出た石川啄木ではなかった。反対に私は、「貧困の遺産を相続」する事を拒否し、故郷へ石を投げつけ外国へ移民した。
 そのような自分の身を省みると、私の心は屈折に屈折を重ね、とうとう口にする事が出来なかった。
 秋田から新潟行特急に乗った。
 今日は、温泉地に泊まりゆっくりしたかった。
 そこで村上で下車し瀬波温泉へ向かった。
 高額を覚悟で温泉ホテルに入ったら、リュックにサンダルの私の旅スタイルを見て、門前払いされた。
 表通りの民宿は満員。脇道にひっそりとした民宿を見つけ「今晩は!」と、大声をあげた。
 小太りの中年女性が現れ、私のリュック姿を見るとしかめつらをした。
 「あんた、他の宿を探さなかったの?」
 「捜しましたが、満員でした」
 「また、どうしてうちなんかに来たの?」
 「表通りから引っ込み、静かそうでしたから」
 「今晩はアンタの一人客だから、夕食を出さないわよ」
 「外食します」
 「風呂も沸かさないわよ」
 「共同湯に行きます」
 「明日の朝食は何時に食べたいの?」
 「7時前に発ちますからいりません。寝る所とおしっこする所があれば。OKです」
 「うちはついこの間、畳を取り替えたばかりなのよ。その汚いリュックをじかに畳の上に置かないで頂戴。今、下に敷く物を持ってくるからちょっと待ってよ」
 「ハーイ、お願いします」
 「ところでアンタはどこから来たの?」
 「ブラジルから来ました」
 「ブラジルはどこにあるの?」
 「え!ブラジル知らないのですか?」
 「どうして、私が知っている訳があるのよ!」
 村上で一泊後、新潟、東京、大阪まで鉄道を乗り換え、広島まで南下した。
 広島で下車したのは、その頃夕暮れになったからである。
 「安宿を探すにはどっちの方角に行ったらいいかな?」と、駅前に立つと、小雨まじりの生暖かい空気につつまれた。
 そのとたん、鹿児島迄南下するつもりだった気持ちが急に変わった。
 再び北上することにした。
 北日本の、あの冷涼で透明な空気、あの柔和で輝く陽光、あの濃密な山野の緑に強い郷愁を感じたのである。
 とりあえず、一夜の安宿を決めねばならなかった。
 勘を頼りに、素泊まり4千円程度の駅前安旅館を見つけた。
 旅館主と思われるオバサンは、リュック姿の私を見るや否や、「今日はいっぱいです」と言って、ふくらズラをそむけた。
 私は・・・その理由をよくわかっていたので、丁重に一礼して引き下がった。(つづく)

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