我れ、生まれ出づる国を訪れる2=ポルト・アレグレ=杉村士朗

 空間
 私の日本の思い出は、東京の思い出に尽き貧困の一語に尽きた。
 戦後、日本が貧しかったばかりでなく、貧しい国のそのまた貧しい家庭に私が長男として生まれたからである。
 だが、私は東京、すなわち私の過去に深入りすることを避けた。
 思い出をたぐっていくと、何日いても時間が足りず、まだ感傷に惑溺してしまうような気がしたのである。
 それにしても東京は実に不思議な大都会である。巨大な蟻塚の如く、人間が満ち溢れながら、清潔で秩序正しい、そして静寂でさえある。さらに、緑の美しい意外なほど優美な一面を持っている。
 東京に3泊後、ブラジル出発前より楽しみにしていた「日本再発見の旅」を開始した。鉄道パスを使って、上野駅から秋田行新幹線に乗り、男鹿半島を目指した。発車後、おしぼりが配られ若い女性の給仕係が手押車を押しながら、私に問いかけた。
 「お茶にしますか?コーヒーにしますか?」
 「いくらですか?」
 「サービスです」。
 「サービスと言っても、お金を払う必要があるのですか?ないのですか?」
 「サービスですから、お金を払う必要はありません」
 「それでは、コーヒーをください」。
 給仕女性は、なんて変な人!と言いたげに、私を見返した。
 私にしてみれば、料金不明なうちは、絶対に飲まない。食べない。乗らない。寝ないという、世界を独り旅するさいの鉄則を忠実に守っただけのことだった。
 たまたま同乗していたオーストラリア人も“マネー無料”をキチンと確認してからコーヒーを注文していた。
 日本の新幹線には、3種類のトイレがあった。一種類しかないヨーロッパの新幹線とは違い、男子専用(立小便スタイル)男女共用の「和式」「洋式」があった。私は、立小便スタイルと洋式を使用したが、日本の日本人はどちらを好むか、強い好奇心にひかれた。
 それで、窓外の風景を眺めているふりをしてトイレ近くにへばりつき、乗客の出入りを見張った。
 すると男女とも「和式」を好む方が多かった。とりわけ女性は年齢に関係なく、圧倒的に「和式」を好んでいた。
 日本の女性が欧米を旅して、「便所が気持ち悪い」と、評した話を耳にした事があるが、その理由がよくわかった。
 両足を踏んで、腰を安定させ、尻を空間に据えて事を処理する事に慣れた日本の女性にとって、どこの馬の骨とも知れない者が入れ替わり、立ち替わり尻を乗せた同じ場所に自分の尻を乗せることが、我慢できない程不潔に感じられたのだった。
 一方、男は男で椅子に腰かけるホテルは、ふわふわ浮ついて、大嫌い。
 腰のどっしり落ち着ける旅館が大好き!とのちに知り合った地方の土木技師がきっぱりと断言したが、「和式」を好む立派な理由があるようだった。
 なるほど、文化高低なし、ただ相違あるのみ!
 男鹿駅から小型乗り合いバスで男鹿温泉豪へ向かった。
 日暮れ後に着いたが、ユースホテルは閉鎖、国民宿舎は満員、タクシー運転手の紹介で水族館近くの民宿に泊まった。タクシー料金は目の玉が飛び出るほど高かった。
 あっという間、2千円取られた。
 最後にタクシーを利用したのは、マイアミのココナッツグローボから国際空港まで20ドルを取られたが、市内からハイウェイへ入り高速を通ったので、料金には不足はなかった。
 紹介された民宿の便所は、大便の着地音が聞こえる「純和式」だった。
 昔取った杵づかとは言え、38年の空白をそう簡単には取り戻せなかった。前へのめりそうになったり、後へひっくり返りそうになったり、試行錯誤の後に無事用を果たした。

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