《特別寄稿》サンパウロに「日本ビル」を建設するという夢物語の実現に向けて 執筆者:桜井悌司(ラテンアメリカ協会常務理事)

「イタリア・ビル」(Edificio Italia)(Wilfredor, CC0, via Wikimedia Commons)

 ブラジルのサンパウロの中心部に「イタリア・ビル」(Edificio Italia)という地上168m、46階建ての巨大なビルがある。イタリア移民のコロニアのイニシアテイブで建設され1965年に完成したシンボル的タワーである。設計者はブラジルの建築家のFranz Heepである。屋上には展望台があり、有名なテラソ・イタリアというレストランもある人気スポットである。
 何といってもイタリアはブラジルへ最大多数の移民を送り出した国であるので納得できよう。その他にもユダヤ人コミュニティが建設した「エブライカ・サンパウロ」やアラブ系の「シリア・レバノン会館」等も存在する。ブラジルは、世界最大の日系人が住んでいる国であるし、日本はブラジル経済や産業の発展に貢献した国でもあるので、「日本ビル」の建設もそれほど荒唐無稽な話ではない。
 振り返ってみると2004年9月に、ブラジル日本移民百周年記念祭典協会会長の上原幸敬氏(当時文協会長)の名前で小泉純一郎首相あてに、「日伯総合センター」建設計画の要請状が提出されている。ブラジルの日系社会の未来をいかなるものにするかという観点から「日伯総合センター」のプロジェクトを立ち上げたと記されている。
 それによると、総面積9万3600平米の大きさで、総工費は6千万ドル(1ドル150円とすると90億円)。施設の中には図書館、カラオケ、ゲーム室等も入っている。要請状のトーンをみてみると「日本人全体を視野に入れた重要プロジェクトという大きな目標に向かってみんなが団結すれば、資金調達できる可能性は大いにあります」と書かれているが、日本政府頼みが濃厚である。結局実現には至らなかった。
 ブラジル日報の深沢正雪編集長も2023年12月19日付けの記者コラムに「次の4年間は日系社会の正念場か」というタイトルで「日伯総合センター」の建設を再度検討するべきだと主張されている。このような大きなプロジェクトの実現は、決してあきらめることなく繰り返しチャレンジする必要がある。
 この原稿は、ブラスキ(ブラキチではなくブラジル好き人間)の夢物語として受け取ってもらいたい。どうすれば、サンパウロに「日本ビル」(Edificio Nippon, Edificio Japão)を建設することができるかを勝手に考えたものである。筆者は、2003年11月から2006年3月まで、ジェトロのサンパウロ事務所所長を務めたが、この原稿の内容は全く個人の意見である。

「メキシコの日墨学院建設のケース」

 1974年から77年までメキシコに駐在した。その時期に日墨学院(LICEO MEXICANO JAPONES,A.C)の建設計画が浮かび上がってきた。当時、駐在員子弟のためのメキシコ日本人学校と日系コロニア関係の学園3校が存在していた。日本人学校も1968年にスタートした時点では44名の生徒数であったが1974年には148名に増加していた。
 そこで一つの立派な学校を建設しようということになった。タイミングも極めて良かった。当時の田中角栄首相が、カナダ、メキシコ、ブラジルの3カ国を公式訪問することになったのだが、ブラジルではセラード・プロジェクト、カナダでも具体的なエネルギー・プロジェクトがあったが、幸か不幸かメキシコには具体的プロジェクトが何も存在しなかった。
 そこで当時の日本大使館関係者や駐在員社会、コロニア関係者が一致協力し、日墨学院の構想が提案され、日本政府からの100万ドル(当時のレートで3億円)の拠出が実現することになった。当時、日本人学校の理事長で日墨学院建設委員長であった筆者の上司のジェトロ・メキシコの中屋敷正人所長の下でこのプロジェクトにお手伝いすることができた。
 建設資金の大枠は、日本政府が100万ドル(3億円)、進出企業が150万ドル(4・5億円)、日系コロニアが50万ドル(1・5億円)と決められ、プロジェクトが動き出した。最終的には日本政府100万ドル、進出企業160万ドル、日系コロニア50万ドル、日本人学校の売却費12万ドルの合計322万ドルとなり、10億円プロジェクトが実現した。
 進出企業の分担金のアレンジをジェトロの同僚と一緒に担当したが、大商社、銀行、ニッサン自動車のような大メーカーは一律6万ドル(当時のレートで約2千万円)、その他は、規模に応じて分担金を負担することになった。コロニアの有力者も、次々と寄付の名乗りを挙げられ、松本三四郎さんは、100万ペソ(2400万円)、木村敏正さんは50万ペソ、木村平次さんは40万ペソを寄贈された。
 このようにして日墨学院は1977年9月に開校するに至った。打ち合わせ会議のアレンジを担当したが、実現に向けての進出企業や日系コロニアの熱気たるやすさまじいものがあった。ブラジルでも同様な学校を建設する計画もあったようだが、実現に至らなかったと聞いている。
 今回の「日本ビル構想」は、規模も相当大きいので参考にはならないかもしれないが、政府―進出企業―日系コロニアの一致協力でプロジェクトを完成に導いた数少ない例として紹介させていただいた。詳細は、毎日新聞社発行『日本メキシコ学院十年の歩み』(1987年)を参照のこと。

「では具体的にどうするのか」

 ではどうすれば実現に少しでも近づけるかを考えよう。最初に心がけなくてはならないことは、日本政府に過度に依存・期待しないことである。
 筆者の印象では、ブラジル在住の日系人の方々は、往々にして何でも日本政府に頼りがちであるように思える。日本ビル建設は、日系コロニアや進出企業に大きなメリットのあるプロジェクトなので、日系コロニアも進出企業も当然ながら積極的な負担が要請される。
 日本でよく活用されるのは2分の1方式とか3分の1方式である。このルールは最も日本的で最適と思われる。現在進行中の大阪関西万国博覧会でも、政府、大阪府・大阪市、財界の3分の1だし、前述の日墨学院でも変則の3分の1方式であった。「イタリア・ビル」のような立派なビルができないにしても、「日本ビル」にふさわしい建物の建設のためにそれ相応の資金が必要となる。便宜上、75億円程度以上と仮定しよう。
 次に考えなくてはならないのは、具体的な実現方法である。
 最初は、出来るだけ多くのアイデアや構想を提案することから始まる。様々な人が様々な提案を出すことが重要である。それらの提案は実現に向けての前向き、ポジティブな案でなければならない。どのようなプロジェクトでも必ず反対者が現れるものと覚悟するべきである。ブラジル日報紙、ブラジル日本文化福祉協会(文協)、ブラジル日本都道府県人会連合会(県連)、サンパウロ日伯援護協会(援協)、ブラジル日本商工会議所などが会員等に対しアイデア募集するという案も考えるべきであろう。
 第2はプロジェクトを推進させるために数百、数千のサポーター、具体的アクションを起こす数十人のプロモーター、コーディネーターが必要となってくる。とりわけ夢の実現に対して熱意を持ったプロモーターの存在は欠かせない。
 考えがまとまることになれば、日本的に「日本ビル建設計画」のための官民合同委員会を立ち上げることになる。メンバーには日本政府、政府機関、経団連、ブラジルの主要3団体(ブラジル日本文化福祉協会、ブラジル日本都道府県人会連合会、サンパウロ日伯援護協会)、ブラジル日本商工会議所、ジャパン・ハウス等が考えられる。
 またビルにはどのような施設を設置すべきか等についてのビル運営の専門家も入れたほうが良いであろう。委員会では具体的に、いかに建設資金を集めるか、ビルの運営をどうするのか、ビルに入居する組織をどうするか、ビルにはどのような施設(講堂、劇場、博物館、図書館、会議室等)を設置すべきか。経営的に成り立たせるにはどうすればいいか。ブラジル政府やサンパウロ州政府との折衝をどうするのか政府等々を議論することになろう。

エブライカ・サンパウロのサイト(https://www.ahebraica.org.br/)

「どのようにして資金を集めるか」

 最も重要な点は何といっても資金集めである。3分の1ルールを適用するとすれば、日本政府には25億円~30億円相当の拠出が望まれる。ブラジル在住の日系コロニアには大いに頑張ってもらわなければならない。日墨学院建設時代のメキシコの日系人数は1万人以下と言われていたので、当時1・5億円を集めたということは、単純に計算すると、1人あたり1万5千円拠出した。ブラジル日系人数は200万人以上と言われるので、仮にメキシコの50分の1の300円(10レアル)を集めるだけで6億円、20レアルだと円で12億円になる。もちろん、全員が拠出すると考えるのは非現実的であることは当然であるが、コロニアは一番の裨益者なので積極的な協力を求められる。
 加えて、メキシコのようにコロニアの成功者から多額の寄付を期待することができよう。ブラジルの日系コロニアの成功者の数はメキシコと比べはるかに多い。仮に10名の成功者が、100万レアルを寄付するだけで3億円くらいになる。20名だと6億円となる。さらにブラジル日本文化福祉協会、ブラジル日本都道府県人会連合会、サンパウロ日伯援護協会にも協力してもらう必要がある。
 例えば筆者の過去の調査によると、現在47県人会の事務所が存在し、宿泊施設を持つ県人会は14に達する。すべてではないにしてもそれら県人会の施設を売却し、「日本ビル」の建設費に充てるのも一つのアイデアである。施設を売却し、建設に協力した県人会組織は、新しいビルに優先的に入居できる権利を持つことになろう。
 また1964年に落成した文協ビルも今年で築60年になる。「日本ビル」の建設地が現在の文協ビルになるのか、その他の場所になるのかはわからないが、候補地として考えられるだろう。その他の場所になる場合は、文協ビルの売却も一案である。
 日系進出企業も積極的な貢献が望まれる。現在ブラジル日本商工会議所の会員企業数は302社で、進出企業数185社、地場企業数117社。主要商社、銀行、メーカー等25社が、5千万円程度の拠出をするとすれば12・5億円、残りの企業は規模や業績に応じ、100万円から1千万円程度負担すれば10億円以上になるだろう。経団連も日伯経済合同委員会との関係もあり、寄付集めに貢献していただくことが重要である。
 日本にもブラジルにも国会議員連盟が存在する。日本には「日伯国会議員連盟」(麻生太郎会長、小渕優子副会長)、「日本・中南米国会議員連盟」(小渕優子会長)があるし、ブラジル側も「伯日議員連盟」(西森ルイス会長、連邦下院議員)が活動している。これらの政治家の方々にもプロジェクトにつき詳細に説明し、多大なる協力、支援、アドバイスを得ることが重要である。
 ブラジル政府やサンパウロ州政府、サンパウロ市にも土地の無償提供や破格の価格での提供やその他の支援を頼んでみるべきであろう。
 日本人の中にはブラジルファンが相当多い。ブラジル在住の日本人、日本在住の日系ブラジル人、昔ブラジルに駐在した日本人、サッカー、サンバ・カーニバル、ボサノヴァのファン等々を中心としてクラウド・ファウンデイングもトライするに値する。必ずしも日本人や日系人のみならず、日本や日本人に対し、親近感を持つブラジル人や日本語を学んでいるブラジル人、マンガ・アニメに興味を持つブラジル人等も対象にすることも考えられる。
 建設計画が決定し資金集めの段階になれば、日系コロニアが組織される様々なイベントを活用し、募金を集めるという方法もある。2023年の「日本祭り」には18万5千人の入場者があったと伝えられている。またサンパウロには、他にも「モジ秋祭り」「桜まつり」やアチバイアの「花とイチゴの祭典」等が華やかに開催されている。パラナ州主要都市での「日本祭り」や年々拡大しつつあるリオ・グランデ・ド・スル州の「日本祭り」等もある。入場料の10%程度を建設募金にするとか、会場内で募金を集めるというのも一案であろう。
 建設経費削減の観点から、日本ビルの設計者や施工業者には、ナショナル・プロジェクトということで、破格の見積もりを出してもらうように折衝すべきであろう。

「想定される入居組織は?」

 まず、「日本ビル」にはどのような組織が入居することが想定されるのだろうか?
 サンパウロ総領事館、国際協力機構(JICA)、日本貿易振興機構(JETRO)、国際交流基金(JAPAN FOUNDATION)、ブラジル日本文化福祉協会、ブラジル日本都道府県人会連合会、サンパウロ日伯援護協会等コロニアの主要団体、ジャパン・ハウス、ブラジル日本語センター、県人会の事務所、進出日系企業・日系コロニア企業、日本の伝統芸術の流派等々である。もちろんこの建物に入居を希望しない組織も想定されるので、入居を希望する組織、個人に限られることは言うまでもない。

「日本ビルにはどのような施設が設置されるのか」

 また設備として大中の講堂、会議室、多目的ホール、体育館、博物館・美術館、図書館、日本レストラン・カフェテリア、和室、茶室、ショップ等の設置が考えられる。大口の寄付を行った企業やコロニアの成功者には、今はやりの冠をつけることもできよう。例えば、〇×大講堂とか〇×会議室等々で、具体的な寄付者の名前を冠につけるのである。
 日本ビルの建設に当たってはタイミングも重要であろう。2025年は日伯外交関係130周年記念、文協設立70周年、2028年は、日本人移住120周年に当たる。このような節目の年までにアイデアがまとまれば理想的である。
 日本人、日本企業、日系コロニアの人々は、総じて、謙虚でしゃしゃり出ることを嫌う傾向にある。また横並び意識が強く、A社が出すのであれば、B社もということになる。それゆえ、最初のコンセンサスが重要となって来る。
 以上、夢物語を披露したが、夢の実現には何といっても、このプロジェクトの主人公である日系人コロニアの強い熱意、多くの日系人の幅広い理解と揺るぎないサポートと具体的行動、日系コロニアの決意と心意気に賛同する進出企業による力強い支援、そして日本政府による資金協力の英断と数々の支援が求められる。「日本ビル」建設という夢の実現に向けて、賛成、反対を含め様々な意見が出てくることを期待したい。そのような議論を通じて、日系コロニアのさらなる活性化が期待できよう。《ラテンアメリカ協会サイト4月25日付初出(https://latin-america.jp/archives/62264)》

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