《記者コラム》ドリア・ブームから8年=まさかのPSDB崩壊

ボルソドリアのキャンペーン時のドリア氏(X)

 サンパウロ市議会の民主社会党(PSDB)議員数がゼロになった。信じられないことだ。民政復帰前から伯国政界を牽引し、創設者のフランコ・モントロ氏、マリオ・コーヴァス氏を中心に80年代のサンパウロ市で絶大な影響力を誇っていた、あのPSDBがだ。この40年ほどのことを考えると嘘のようだ。

 思い返すに、2回前のサンパウロ市市長選では同党候補のジョアン・ドリア氏が圧勝。当選してしばらくはちょっとした「ドリア・ブーム」まで巻き起こっていた。あれが今から7~8年前。当時は長年の好敵手だった労働者党(PT)のジウマ大統領が罷免された直後でもあり、多くの人が「今、大統領選があればドリア氏が大統領になる」とさえ言っていた。
 実業家出身のドリア氏は、米国大統領選で当選して間もなかったドナルド・トランプ氏と比べられ、PSDBから20年ぶりの大統領誕生が期待された。
 それが今や、28年間守ってきた聖州知事の座を失い、サンパウロ市議会での勢力がゼロになってしまうのだから、世の中は本当にわからない。
 ケチのつき始めは、2017年4月、2014年大統領選でジウマ氏と争ったアエシオ・ネーヴェス氏が賄賂を受け取り、交渉の現場を暴露され、党首を停職となったことだ。
 当時はまだラヴァ・ジャット作戦の影響が強い頃で、世間の汚職嫌悪がよりによって一番強かった時期だ。これでPSDBが保守のトップ政党の座から落ち、ボルソナロ氏のポピュリズム的極右思想が台頭する原因となってしまった。
 そして、それをさらに悪化させてしまった張本人がドリア氏だった。ドリア氏は2018年のサンパウロ州知事選の際に「ボルソドリア」と呼ばれる選挙戦略をとったのだ。
 ドリア氏は、自身の政界入りを支援した恩人であるジェラルド・アルキミン氏が、PSDBの結党当初から掲げる「反軍政、民主主義遵守」のイメージを守るため、ボルソナロ氏を徹底批判していたところを、「ボルソナロ氏につくと知事選に当選しやすい」とばかりに自身の知事選とボルソナロ氏の大統領選をセットにしたキャンペーンを展開したのだ。
 「これは知事選に当選しても後が大変では」と予想したが、結果は予想以上だった。ドリア氏はサンパウロ州知事に当選し、PSDBのリーダー格となり、22年の大統領選候補にもなった。だが、予てからの反乱分子が謀反を起こし、大統領選出馬は断念。党内部は完全に分裂し、何を党のモットーにすべきかも見失い、空中分裂してしまった。そこから議員の離党が繰り返され、今に至っている。
 党の救世主と目された人物が、厄病神のように崩壊を招いてしまったとは皮肉な話だ。(陽)

最新記事