リオのカーニバル至宝逝く=キーニョ・ド・サルゲイロ

2014年のリオのパレードで、キーニョ・ド・サルゲイロ(Henrique Matos, via Wikimedia Commons)
2014年のリオのパレードで、キーニョ・ド・サルゲイロ(Henrique Matos, via Wikimedia Commons)

 リオのカーニバルで最も偉大な歌手と称される「キーニョ・ド・サルゲイロ」、本名メルキケセデキ・マリンス・マルケス氏が3日、がんとの戦いの末、呼吸不全で亡くなった。66歳だった。サンバチーム「サルゲイロ」で才能を発揮し、数々のサンバ・エンレード(カーニバルのパレードで披露されるテーマ曲)を歌い上げた。中でも1993年の「北で船に乗った(Peguei um Ita no Norte)」は特に有名で、サンバ界でカリスマ的人気を誇る歌手だ。4日付G1サイトなど(1)(2)が報じている。
 同氏は、22年以来前立腺がんで闘病生活を送っており、入院していたリオ市北部イーリャ・ド・ゴヴェルナドール区のエヴァンドロ・フレイレ病院で亡くなった。
 カーニバルから遠ざかっていたにもかかわらず、昨年、彼の功績を讃えて「キーニョ・ド・サルゲイロ」と名付けられた山車が、同チームのパレードにお目見えした。これに対しキーニョは、「本当に感動した。我々はカーニバルとエスコーラ(サンバチーム)という巨大なもののほんの一部に過ぎないが、サルゲイロは私の人生だ」と語っていた、
 「サルゲイロ」は1953年創立、スペシャルグループで9度優勝の強豪。キーニョは1991年に一員となり、93年の同テーマ曲で注目された。「心臓を爆発させろ!/最高の幸福の中で!/私のサルゲイロは美しい!/伝染し、この街を揺るがす」というサビを持つこの名曲は、今でもカーニバルの度に繰り返し演奏される。
 彼は同エスコーラを離れたり戻ったりしつつ、09年には「タンボール」というテーマ曲でサルゲイロに9度目かつ最新の優勝をもたらした。しかし、チームの理事会との対立から、彼は一時的に離れた後に自ら理事長に立候補しようとしたが却下された。
 19年にキーニョはサルゲイロに復帰し、エメルソン・ジアス氏とタッグを組み、再び旋風を巻き起こした。キーニョの力強い歌唱力は聴くものを魅了し、彼は単なる歌手ではなく、歌詞を通じてサルゲイロの精神を伝える詩人であり、サンバ界に命を吹き込んだと言われる。
 サルゲイロは彼の死後、SNS上で哀悼の意を表し、「キーニョは本エスコーラの本質を音符で表現する詩人だった。彼の不在は言葉では言い表せない空白を残す」と述べた。
 彼の名前と業績は、今もなおリオのカーニバルの歴史に輝いている。

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