小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=77

 万世一系の天皇を崇め、かつて異国の征服を見ぬ民族と教えられてきた矜恃が地に落ちた。晴天の霹靂とはこのことか。肉親を亡くした悲しみにもました深刻さが去来して、何をなすべきか、すべては空白で、己を見失っていた。地球がその辺から真っ二つに割れて、宇宙に舞い散ればいいと浩二は思った。まるでミレーの《晩鐘》の景色のように、人びとは黙して語らず、あたりの草木さえ微動だにしなかった。沈痛に、沈鬱に……
 祟高で静寂な一刻が、この場を支配した。赤い太陽が沈み、暮色が漂いはじめていた。
「こうしていても仕方がない。植民地の全員に呼びかけて、戦没者の慰霊法要でも執り行ったらどうだろう」
 誰かがぽつりと言った。移民たちは夜の九時、会館集合を約してその場を離れた。
 
   第七章
 
思 惑
 
 日本の敗戦を知らされた植民地の人びとは、一週間、十日と仕事が手につかず、夢遊病者のような時を過ごした。それは、このカラムルー植民地のみならず、近隣の移住地や町住まいの者、否、ブラジル全土の在留邦人に共通する悲傷だった。
 自分たちの将来はどうなるのか。接収、凍結された財産は?立ち退き令を受け、内陸へ分散した沿岸地帯の邦人たちは元の所有地へ帰還できるのだろうか。今後ずっと日本語は禁止されたままではあるまいか。
 天皇制は廃止され、二千六百年間存続した日本国家は、世界地図から抹消されるのか。我々は外国に住んでいても拠り所はいつも日本だったのだ。勝って欲しかった。勝つことに望みをかけてきた。永い間、歯軋りする思いで、幾多の圧迫に耐えてきた。一縷の望みはあの玉音放送の瞬間に崩れ去ったのだ。痛恨事である。二〇余万の日本移民は、今から何をよすがに生きて行くのか。
 祖国の負け戦を語らず、じっと戦況を静観してきた田倉は、世情がここまできて、なお沈黙を守っていることは家族に対して相済まぬ気がしてきた。一旗揚げて故郷に錦を飾るという考えも、日本の敗北によって砂上の楼閣と化したのではないか。日本へ帰国することより、この異郷に永住した方が賢明ではあるまいか。自分の判断ひとつで家族を率先してきたことは、結果として罪を犯したことにならぬか。
「この戦争は、もともと無理だったんやな。大使以下総領事、外務省の高官たちは、戦争交換船でわれ先に本邦へ引き揚げてしまった。勝ち戦なら何も慌てて逃げることもなかった筈や」

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