小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=10

 どの家も同じ大きさで、白い壁、素朴なせんべい瓦の屋根、眼窩のような二つの窓と入口が同じ方角を向いているのは幻想的な光景であった。
 しかし、ぼろぼろの思いで入耕した移民たちは、そうした見慣れぬ風景に見惚れ、感嘆する前に、溜息を漏らしていた。
 この耕地は州内屈指の大農場と評され、ここで産するコーヒーの多寡によって相場を変動させる力をもっているという。本耕地のほかに五つの分耕地があり、その面積や労働者の数を知る人は少ない。が、各国からの移民船が入港する度に数家族を受け入れていたから、おびただしい数の移民の出入りがあった筈だ。本耕地には労働者の生活必需品を賄う売店、薬局、医師の出張所などは備わっていても、教育施設だけはなかった。

 奴隷制度が廃止されて四〇余年の今、代替労働力として外国移民を受け入れる経緯からみても、奴隷制度の陋習が根強く継承され、子弟教育は黙殺される傾向にあった。
 乗馬服に身を固めたドイツ系と思われる碧い眼の支配人は、事務所の入口に立って、手にしたノートを開き、ソウイチ・タグラ、ハギ・タグラと家族構成の名前を点呼し、員数が揃っているかどうかを確かめた。移民たちの渡航費の半額は耕地側で負担していたから、人員が不足していたのでは損害になる。
 このことは船内でおおよそ聞かされていたので判断はついていたが、その他の細かい規約は理解できず、一同はわけもなく頷いていた。いつもなら通訳が付くのだがその日はあいにく病気で、支配人自ら先に立って、コーヒー乾燥場脇の屋根のみの食堂に移民たちを誘導した。毎月、外国移民を受け入れている耕地にしては食堂が粗末なのも、奴隷制度の名残と言えよう。
 荒削りの板を並べただけの食卓には、真中に仔豚の丸焼きが載っていた。その横に、大粒のパラパラした飯と食器類が置かれ、傍らにトマトのサラダがあった。
 一応の歓待の意味はこめられていたが、給仕にきた黒人女の太い腕には種痘が化膿していて、近寄ると腋臭と入り混じった悪臭が漂った。その娘が、大きな包丁で卓上の豚を切り刻む母親を手伝っている。田倉たちは、焼き豚の姿を眼にしただけで、食べる前から食欲を失っている。旅の疲れで脂っこいものは受け付けない。せめて塩でもほしいものだ。
 田倉は太った娘に、
「塩はないのか。ブランコ、ブランコ」
 と、船内で覚えた片言のポルトガル語を遣い、飯に振り掛ける真似をした。運ばれてきたのは砂糖だった。

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