《特別寄稿》渡航移植をめぐる〝黒い霧〟=厚労省は移植臓器を増やす確固たる政策を=(上)=ジャーナリスト 高橋幸春

左端が逮捕された菊池、左から三番目が寺岡元移植学会理事長、右から二番目が亡くなった加藤紘一、残りは中国からの移植医(著者提供)

 臓器移植が可能なら生き続けることができる――自分や親しい人がそんな状況に置かれたら、あなたはどう考えるだろうか? 日本では、法律やドナー(死後に臓器を提供したという人)の不在といった分厚い壁が、レシピエント(臓器移植を希望する人)の前に立ちはだかる。さらに移植にはとんでもない金額の医療費がかかり、経済格差の問題もある。現在、一つの裁判が進行している。裁判は、臓器移植にまつわる〝黒い霧〟のような問題を浮き彫りにしている。長年、臓器移植、海外渡航移植の問題を追い続けてきた高橋幸春さんにレポートしてもらった。

[臓器移植法違反]

 今年2月、臓器移植法違反の疑いでNPO法人「難病患者支援の会」(以下、「支援の会」)の菊池仁達理事長(63歳)が警視庁に逮捕、起訴された。逮捕容疑は、厚労省から認可を受けずに、ベラルーシで、日本人患者に臓器移植の斡旋をしたというものだ。
 臓器移植法は第11条で臓器売買を禁止し、第12条で、臓器斡旋については、「厚生労働省令で定めるところにより、臓器の別ごとに、厚生労働大臣の許可」が必要としている。
 2回目公判が9月12日、東京地裁で開かれた。
 菊池被告は2006年以降、移植を望む患者を中国・天津にある第一中央医院東方臓器移植センターに、約170人の患者を案内し、腎臓移植を受けさせてきた。そのうち百人近くは移植に成功し、透析治療から離脱した。20人が移植した腎臓が生着せずに、その後も透析を受けたり、死亡したりしている。50人は、高齢あるいはパフォーマンスステータス(全身状態)が悪く、移植不適応と診断された。中国では「死体」から摘出された臓器が移植に用いられていた。
 「私はたくさんの患者の命を救ってきた」
 菊池被告は胸を張り、この日も改めて無罪を主張した。
 第一中央医院東方臓器移植センターは日本人だけではなく、多くの外国人患者の移植を引き受けていた。しかし、新型コロナ感染のパンデミックで中国への入国が不可能なり、中国以外の国で、日本人の患者を引き受けてくれる移植病院の開拓を「支援の会」は迫られた。
 菊池が新たに渡航先として見つけてきたのは、ブルガリア、ベラルーシ、ウズベキスタン、キルギスだった。コロナ以後、ブルガリアで腎臓移植2人、ベラルーシでは3人(腎臓、肝臓、肝腎同時移植、各1人)、ウズベキスタンでは2人の患者が半年にわたって待機したが移植できずに、キルギスへ移動した。
 キルギスには、イスラエル人患者複数も移動した。ところが首都ビシケクの病院で移植を受けたイスラエル人2人が、2021年12月22日、23日と相次いで死亡した。
 腎臓移植のために半年もウズベキスタンに待機させられていた五十代女性も、同じ病院で12月18日に手術を受けた。麻酔事故で女性は重体に陥り、移植も失敗に終わった。
 もう一人、長期待機していた男性患者は、移植手術を受けることなく、12月23日、現地で心不全のため亡くなった。男性は「支援の会」の斡旋で14年前に中国で1回目の腎臓移植手術を受けている。腎臓は11年間機能したが、その後機能を失って、透析治療を受けるようになった。
 一方、キルギスではさらに2人の日本人患者が加わり、移植チャンスを待った。しかし、女性患者は移植した腎臓を摘出し重体で帰国、残りの2人の患者も移植を受けずに戻った。
 キルギスでの移植では、ドナーと思われるウクライナ人女性に偽造日本旅券まで用意されていた。臓器売買が強く疑われるが、菊池の逮捕容疑は臓器売買ではなく、ベラルーシで行われた3件の移植のうちの2件で、臓器斡旋だ。

[惨憺たる有様だった腎臓移植]

 渡航移植については、2008年にトルコで開催された国際移植学会で、「臓器取引と移植ツーリズムに関するイスタンブール宣言」が採択された。渡航移植は、貧しい人をドナーとして容赦なくターゲットにする。「移植が必要な患者の命は自国で救えるように努力」し、渡航移植を止めようというものだ。
 しかし、イスタンブール宣言以降も、渡航移植希望者が減ったわけではなく、海外で移植を受けようとする患者が後を絶つことはなかった。
 慢性腎不全に陥った患者を死から救う治療法が人工透析療法だ。排泄機能を失った腎臓のかわりに体外のろ過装置を用いて血液を浄化する治療法だ。透析は週3回、毎回4、5時間がかかる。
 透析治療が導入された頃は、すべての慢性腎不全の患者が受けられた治療法ではなかった。当初は保険適用もなく、すべてが患者の自己負担だった。経済的余裕のない慢性腎不全患者は、尿毒症に陥り、1、2週間で死んでいくしかなかった。
 人工透析医療が保険適用になったのは1967年だが、それでも医療費は極めて高額なものになった。
 腎臓病患者の患者会組織「全国腎臓病協議会」のHPには、こう述べられている。
 「日本で人工透析治療が導入されたのは1960年代後半で、1967年に血液透析が健康保険の適用となりました。とはいえ、今のように自己負担がまったくない患者は社会保険の本人だけで、当時の健康保険制度では社会保険の家族は5割の自己負担、国民健康保険は3割の自己負担があり、その額は1ヶ月に10万~30万円にのぼりました」
 1968年の大学卒の初任給が3万600円という厚労省の統計がある。こうしたことを考えれば、人工透析を受けられる患者は限られていた。
 透析治療が、慢性腎不全患者の命を救える治療法だとしても、患者やその家族にとって経済的な負担がどれほど過酷なものだったか、想像に難くない。1969年当時、透析患者は全国で380人という数字もある。このくらいの数の患者しか受けられない医療だった。
 一方、経済的に余裕のない慢性腎不全患者が命を落としていく現実に、移植を志した医師たちは、移植医療に果敢に挑戦した。
 日本で最初の腎臓移植は、1956年に実施された。昇汞(しょうこう)を飲み、服毒自殺をはかり急性腎不全に陥った患者に、突発性腎出血の患者の腎臓を移植した。
 レシピエントの体内に移植臓器が入ると、体内では移植臓器を異物と認識し、攻撃し、排除しようとするシステムが作動する。これが免疫反応で、移植臓器だけではなく、ヴィルースなどの侵入に対しても反応し、人間の体はこの免疫システムによって健康が維持される。
 移植臓器に対する免疫反応は、拒絶反応と呼ばれ、臓器移植はこの拒絶反応をいかにコントロールするかの闘いでもあった。
 1950年代は、HLA(ヒト白血球抗原)の知識も不十分で、また拒絶反応を抑える術もなく、腎臓移植は惨憺たる有様だった。腎臓移植は治療とはほど遠いものだった。
 1960年代から1970年までに、日本国内で実施された腎臓移植は、生体腎移植が137例、心停止下の献腎移植が37例だった。
 71年 生体腎移植38例、献腎移植4例。
 72年  〃   37例、 〃  4例。
 当時の移植数はこの程度しかなかった。また1970年までの1年生着率は50パーセント~60パーセント、5年生着率は12パーセントで、移植は医療としてはまだ確立されていなかった。
 多くのレシピエントが移植した腎臓が廃絶したり拒絶反応を起こしたりして、あるいは合併症で死亡するケースが相次いだ。
 しかし、移植医療に革命が起きる。
 1972年、ノルウェーの土の中から発見されたトリポクラディウム・インフラーツム・ガムスという名前の土壌菌の代謝物が発見された。1976年、この代謝物に免疫抑制効果があることが分かった。
 1978年9月、ローマで第7回国際移植学会が開催された。ここでイギリス・ケンブリッジ大学のロイ・カーン教授が、腎臓移植後に免疫抑制剤としてレシピエントに、土壌菌の代謝物から作られたシクロスポリンを投与し、画期的な効果が得られたと発表したのだ。
 シクロスポリンの登場は移植の様相を一変させた。1980年代に入り、腎臓移植後の患者の生存率は95パーセントを超えるようになっていた。腎臓移植が原因で患者が死亡することはほぼなくなった。
 しかし、日本は臓器提供が極めて少ない。日本臓器移植ネットワークによれば、人口100万人当たり臓器提供者数は、アメリカ44・50、ドイツ10・34、韓国7・88で、日本は0・88という悲惨な状況だ。(2022年)
 透析患者は34万9700人(2021年12月末、透析医学会)に達している。1人当たりの透析患者にかかる年間医療費は約500万円だが、月1万円(健康保険・国民健康保険の患者で一定以上の所得のある者は2万円)までの自己負担ですむようになった。しかし、慢性腎不全の根治的治療法は腎臓移植しかない。
 移植と透析は、慢性腎不全治療の両輪と言われてきたが、片方の車輪だけが肥大化し、極めて歪んだ形になっているのが実情だ。移植は、ほぼ健常者と同じような生活が可能になる。移植と透析ではQOLはまったく違うのだ。法外な移植費用、臓器売買、危うい移植術など様々なリスクを伴うが、渡航移植に患者が流れる大きな要因がここに潜んでいる。

[待機時間15年]

 菊池によれば、斡旋組織は以前は27団体あったという。渡航移植はまさに野放し状態だった。そうなったのも日本では待機時間があまりにも長すぎるからだ。
 日本で唯一、国の許可を得ている臓器斡旋組織「日本臓器移植ネットワーク」によれば、腎臓移植希望登録者数1万4013人、肝臓353人(いずれも2023年8月31日現在)、これに対して移植件数は、腎臓162件、肝臓76件で、肝腎同時移植は9件しかなく、提供される移植用の臓器が極端に不足しているのだ。(2022年)
 腎臓移植の場合、脳死からの移植106件、心停止移植19件、生体腎1648件と、家族から提供された生体移植が圧倒的に多い(2022年、日本移植学会)。
 日本臓器移植ネットワークに移植希望登録をしても、腎臓移植の待機時間は15年といわれる。一方、透析の生存率は開始後5年で60パーセント、10年40パーセントと厳しい現実が横たわっている。
 しかも健康なドナーから腎を摘出した生体腎移植は、ドナーは「六親等以内の血族か三親等以内の姻族」と厳しく制限されている。
 生体腎移植が何故認められるのかといえば、二腎の場合に比べて30パーセントの腎機能低下が生じるとされてきた。しかし、腎臓には予備力があるので通常の生活を営むには差し支えない、というのが生体腎移植を認める医学的根拠になっている。
 しかし、日本移植学会の2003年10月改定のガイドラインでは、生体腎移植について、「健常者であるドナーに侵襲を及ぼすような医療行為は本来望ましくないと考える。特に、臓器の摘出によって、生体の機能に著しい影響を与える危険性が高い場合には、これを避けるべきである」として、健常者からの臓器移植の提供に消極的な態度を示している。
 家族間における生体腎移植も、家族、親戚の中に慢性腎不全を発症している者がいる場合、ドナー自身が慢性腎不全を発症する可能性もあり、臓器提供者を身内から見出すのは事実上不可能になる。患者は生きるためには、海外での移植にすべてを託すしかないというのが実情だ。
 この日の法廷には、被告側の証人として、中国で移植を受けた患者が証言台に立った。この患者は2011年に、1400万円を「支援の会」に支払い、移植を受けていた。(つづく)


 東京在住のジャーナリスト高橋幸春さんが『渡航移植をめぐる〝黒い霧〟』を14日発売の月刊「望星」で発表し、ブラジル日報にも寄稿した。
 高橋さんは1950年生まれ、早稲田大学卒業後、ブラジルへ移住。パウリスタ新聞で3年間ほど記者をしたのち、78年に東京に戻ってノンフィクションライターとして活躍。1991年に勝ち負け抗争を描いた『蒼氓の大地』で第13回講談社ノンフィクション賞を受賞した。多人種社会であるブラジル在住の経験から、日本社会の閉鎖的で排他的な体質を追っている。
 近年は臓器移植の〝黒い霧〟に関する取材を重ねている。今回は、2月に臓器移植法違反の疑いで逮捕されたNPO法人「難病患者支援の会」の菊池仁達(ひろみち)理事長の置かれた状況に関してレポートした。
 厚生労働省6月8日付「臓器移植の実施状況等に関する報告書」に掲載されている「海外渡航移植患者の緊急実態調査」によれば、今年3月31日時点で、海外に渡航し移植を受けた日本人患者で、帰国後、外来通院している者の数は543人、うち少なくとも一人はブラジルの医療機関、もう一人はアルゼンチンで移植手術を受けていた。高橋さんは「本当はもっと多い可能性がある」とも指摘する。
 最近、有名司会者ファウストンが心臓移植手術をしたことで、にわかにブラジルでも注目が集まっている臓器移植。日本のその現状と課題点を高橋さんがレポートする。(ブラジル日報編集部)

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