連載小説=自分史「たんぽぽ」=黒木 慧=第110話

・七月二十日 美佐子、コチア青年婦人部座談会(五十周年記念誌のため)。
・七月二十九日 イタペチ(モジ)芳賀花木園山開きに招待される。芳賀さんは福島県出身のコチア青年。ラン栽培の第一人者でこの度は年中色々な花が咲き乱れ、花木を一〇アルケール植え、個人経営の観光名所にすると意気込んでいる。
・八月二日 コチア青年の森(国士舘)の掃除・施肥作業。
・八月六~九日 コチア青年北パラナ親睦会旅行、カルロポリス・ロンドリーナ・カンポモロン温泉。
・八月十日 国士舘マレット・ゴルフ場に肥料、カルカリョ、土を入れたら雨がじっくり降った。
・八月十九日 地坂満夫(アチバイア コチア青年)死亡。
・九月三日 佐元ミゲール君(イトビ在・宮崎県受け入れ農業研修生)の結婚式に参列。久しぶりにイトビの自宅で行われた結婚式は昔の日系人の結婚式を想い出させた。
・九月十一日 コチア青年主催マレット。ゴルフ大会。私がA組一位、美佐子B組一位で二人して七個のトロフィーを持ち帰った。
・九月十二日 コチア青年五十周年記念石碑を据え付けた。
 これは私が強く主張して二五〇八名のコチア青年の五十年の歴史の足跡を証明するもので、これまで紙の上の記念誌以上、何も残されていない。これだけではコチア青年がこのブラジルの大地で苦闘し、立派に育つ子、孫を残したことが後々の世代に忘れ去られてしまう。これではいけない。国士舘にコチア
 青年の森を造り上げる事と共に、森の一角に記念の石碑を建てて、コチア青年は日本のため、ブラジルのために頑張ってたんだよ、と言う文字をこの石碑に刻もう、と言う事で、私が責任者となり、タボン・ダ・セーラの石工、須藤岩男さんに二万二千レアイスで作ってもらった。表に刻まれた題字は私の発案で、書体は時の日本の島村農林大臣の揮毫による。〈自然と人類の共存〉(Coexistencia da Natureza e da Humanidade)であり、また、裏面にはコチア青年の生い立ちが私の友人、同じコチア青年の新留静さんの名文が刻まれている。
・九月十七日 コチア青年のスポーツ大会と前夜祭。
・九月十八日 コチア青年移住五十周年記念式典。記念石碑の除幕式、並びに記念植樹。
 サンロッケ市カルモ区の国士舘大学スポーツセンターに於いて、総勢七二〇名の参加者で盛大に挙行された。掘村大使を名誉総裁に、高橋一水コチア青年会長を大会委員長に。まず私の司会による石碑の除幕式。続いて日本からの来賓、特に福島啓四郎外務省政務官をはじめ、農協、家の光の代表、またブラジル側から、橋本先生、山添先生、サンロッケ市長のエファネウ・ゴヂーニョ氏などによる記念植樹が石碑の近くで行われた。

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