連載小説=自分史「たんぽぽ」=黒木 慧=第134話

 二〇一二年 たつ年  慧 七十七歳、 美佐子 七十三歳
・一月一日(日) 雨の年越しであった。昨年はわが黒木の孫達は外国ブームで、悟とみずえの娘茜(あ かね)が、北米、オルランドに研修中であり、恵美とエジソンの娘二人、直美と瞳はスエーデンのストックホルムにボーイスカウト研修に行き、又、るり子とミゲルの長女レイナはイギリスの三か月の英語研修から帰って来て、この年の暮はるり子の次女マリ・リースとその婚約者のロドリーゴと北米フロリダに遊び、そして、ナタールと正月に恵美家族は北米もラスべガスからニューヨークに旅行中である。この様に、わが黒木の子孫は外国にその活動の場を広げつつある。まあ、良い傾向だと思う。世代は子孫の時代だ。皆それぞれ病気せず、自分の道を頑張って欲しい。
・二月十日(金) 私が宮崎県人会で研修生の世話を始めてから二十二年になる。誰か代わりにやって呉れる人を探し当てないまま、二十二年間続けて来た。悟と恵美が県人会や母県宮崎でお世話になったせめてものお礼とご恩返しの気持ちで始めたものが、止めるに止めさせてもらえずに、今までつき合って来たわけである。でも、人の世話をする、世話が出来ると言うことは、大変な事だけど幸せなことだと思う。頭を使い、体を使い、時間を使い、金を使って世の為に奉仕出来る。ありがたい事ではないか。今、二年前に農業研修で宮崎に行って、帰って来て花作りをやっている、サンパウロ近郊のグヮラレーマ在住の土田オスカル健司君が、私の肩代りををやっても良いと言うので、その様に動いているけど、まだ私が気を配らないと彼が能動的に動くまでには至っていない。でも少しは私も気分的に余裕が出来た気持ちである。
・二月二十八日(火) ユーカリの植林予定をこの雨期で終わらせて、植林面積が全部で五ヘクタール位となった。これが五、六年経って、レンニャとして売れる様になると、少しは収入があると思うので、
 その頃まで元気でいれば、外国旅行でも楽しみたいと夢をみている。
・四月三日(火) 毛虫(タツラーナ)に刺されて死ぬ様な痛さに見舞われた。サンロッケのプロント・ソコーロに美佐子の運転で飛んで行ったけど、丸八時間痛み通しだった。日系のロベルト医師が良く治療して下さった。

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