《記者コラム》ウチナーンチュ大会はルーツ探しの旅=会場一体化、感動のグランドフィナーレ

翁長助成のひ孫がルーツ探しの旅

ルーツの確認を始めた翁長イエダさん

 「自分のルーツが知りたくて、今回初めて大会に参加した。今週、県立図書館に行った際、データベースで調べてもらい、自分の曾祖父が日系社会の重要人物だったと知り、感銘を受けた。とても幸せな気分。もっと自分の家族の歴史を知りたくなった。これからも調べ続けたい」
 10月31日から4日まで沖縄県那覇市を中心に開催された第7回世界のウチナーンチュ大会の閉会式で、参加者の一人、翁長イエダさん(40歳、サンパウロ市)は、人生が変わったような強い感動を受けたと記者に告白した。
 曾祖父の名前を尋ねると、「ジョセイ・オナガだ」と答えだ。今度はこっちが驚く番だった。ブラジル沖縄県人会の前身、琉陽会を1926年に発足させ、33年には日本新聞の経営を引き継いだ「翁長助成」のことだ。
 その息子、翁長英雄はサンパウロ総合大学(USP)法学部を卒業した後、日系人初のジャーナリストとして「フォーリャ・デ・サンパウロ紙」などで記者をした。
 その娘の夫、山城ジョゼは日伯両語に堪能で、最も初期に公称翻訳人となり、やはりブラジル紙で記者として働いた。ポルトガル語で沖縄や日本の歴史を紹介する著書を多数発表し、2時間ほどインタビューしたことがある。
 山城ジョゼは翁長英雄と共に、私が最初に働いた邦字紙パウリスタ新聞の初期のポルトガル語紙面の記者を務めた人物であり、いわば邦字紙の先輩だ。
 そんな話を少し、イエダさんに説明すると、彼女は「本当に有名な人だったんですね」とさらに驚いたように答えた。
 訪沖は3回目だが、今回初めてルーツを知ったと言う。2019年から愛知県でアマゾンの配達業務などをして働いて生活をしている。「この大会ではあちこちで『お帰りなさい』と言われ、まるで家に戻ってきたような感じがする。今日本語の勉強もしている。いつか沖縄で仕事を見つけて暮らすのが夢」と目を輝かせた。
 このような「アイデンティティの覚醒」という特別な反応があちこちで起きることが、この大会の魔法だとつくづく感じる。ただの国際的な交流会ではなく、沖縄系子孫にとっては自分探しの旅なのだ。

ブラジル日報協会の林隆春会長らも出席

 5日間の祭典のハイライトは開会式と閉会式だ。だが開会式は雨降りで、会場も体育館のような場所に急きょ移され、内容も式典中心に縮小され、アトラクションが最低限に減らされていた。
 予定された参加者数は9千人あまりだったが、実際に参加できたのは866人、うち海外勢は300人余りだった。その中にはブラジル日報協会の林隆春会長とその長男功浩さんの姿もあった。
 最終日の閉会式はようやく晴天に恵まれ、ウチナーンチュの芸能パワーが本領発揮された。約8千人が野球場を埋め、うち海外勢は約1700人だった。
 前回大会では1200人を数えたブラジル勢だが、今回は少なく、当地から訪沖したのはわずか30人程度だった。ただし日本の現地参加者を入れれば100人余りいた可能性がある。日本のパンデミックのコロナ入国規制が緩和されたのが10月11日と遅く、南米4県人会は組織的な派遣を取りやめると8月末に発表していた。
 ただし、ふたを開けてみるとハワイ勢はいつもより若干少ない程度の約800人、アルゼンチン勢も約80人、ペルー勢も相当数が参加したことから、ブラジル勢の少なさが目立った形になっていた。
 だが有り難いことに、10月31日付の現地紙の沖縄タイムスでは1面と最終面の見開きでドーンと大きく、琉球新報でも1面で前夜祭パレードのブラジル勢の様子が大きく報道され、大きな期待が寄せられていることが現れていた。
 式典では、池田竹州副知事の閉会の言葉に続き、玉城デニー実行委員長(知事)が前回大会では「世界ウチナーンチュの日」が制定されたのに続き、今大会では常設の「世界ウチナーンチュウセンター設置に向けて取り組んで参ります」と正式に表明した。
 世界ウチナーンチュセンターは、大会期間中に琉球新報社屋でシンポが開催され、「世界から訪れるウチナーンチュ子孫が、移民であるご先祖に手を合わせる場所がない」「まともに議論しても資金がないの一点張りで断られることは目に見えている。あとは知事の決断、一存にかかっている」などと熱い議論が繰り広げられるなど懸案事項だった。
 南米各地を中心に世界には沖縄県人会の会館が多数あるが、母県にはそれに対応した常設施設・組織がないことが議論されてきた。それに対して、知事が正式に設立に向けた取り組みをすると表明した形で、会場からは拍手をもって歓迎された。
 知事は「私たちは大きな家族です。平和と笑顔で行われたウチナーンチュ大会を誇りに、世界中から戦争の恐怖を一日も早く取り除くことができるよう、『対話と共存』を求めて頑張って行こうではありませんか。では第8回大会でお会いしましょう」と締めくくった。

移住先の言語を越えるウチナーグチ

ペルー県人会の小橋川ラウル会長

 ペルー沖縄県人会の小橋川ラウル会長は来賓あいさつ冒頭で、コロナ禍で亡くなった親族や友人のことを挙げ、「彼らの多くは今日この会場にいたかもしれません。でも肉体はなくともその魂はいま私たちの側にいます。今日はコロナで亡くなった全ての犠牲者に特別な祈りを捧げ、心の中で静かに拍手を送りましょう」と呼びかけると、自然に参加者の大半が立ち上がり、大きな拍手が沸いた。
 沖縄県民の歓迎に対して「私たちは今、これまで以上にウチナーンチュであると感じます」と感謝の言葉を述べ、「いちゃりばちょーでー」(一度であえば皆兄弟)との言葉で締めくくった。

ブラジルの次世代代表、吉村尊雄さん

 沖縄対策を担当する岡田直樹内閣府特命担当大臣の挨拶に続き、次世代の代表としてブラジルの吉村尊雄さん(三線胡弓研究所代表)が舞台に立ち、字幕には3カ国語で表示されるが、本人は島言葉だけで結束を呼びかける挨拶をして喝采を浴びたい。母語の言葉の違いを超えたルーツ言語による呼びかけだ。

世界ウチナーンチュセンター設立への取り組みを発表した玉城知事

 日が暮れ始め、アトラクションとなると、一転して会場はお祭りムードなった。その日午後、内閣府沖縄総合事務局は、3年前に焼失した首里城正殿の起工式を開催した。岡田沖縄担当相、玉城知事らが正殿に使用する国頭村産の「御材木」にノミ入れをして、工事開始を宣言した。次回大会の前年、2026年の完成を目指すと発表された。
 大会ではそれを記念して、首里城正殿に見立てた舞台では首里城復興応援ソング「Syuri no Uta」や琉球國祭り太鼓などによるエイサーも披露され、徐々に会場の熱気が高まってきた。

ディアマンテス大盛り上がり、BIGEN大トリ

 式典は理性的な内容が中心だが、それは1時間余りで早々に終わった。最後の出し物に期待する観客席では、小休止の間に何度もウェーブが自然発生し、主催者に期待感を伝えていた。
 最後の3時間はグランドフィナーレとなり、音楽や踊りなどの沖縄芸能を通して、情感に訴えるコンテンツが炸裂し、言葉や国境を超えて世界からのウチナーンチュの心を鷲づかみにした。
 中でもペルー3世の城間アルベルト率いる「ディアマンテス」で会場の熱気は一気に高まった。赤いシャツに身を包んだ“ペルーンチュ”を中心に、まるで会場全体がダンスフロアーに変わったかのように踊り出す人が現れ大盛り上がりとなった。
 トリを務めたのはBEGINで、冒頭から「天国にいるオジーもオバーもここに来ています。皆で盛り上げましょう」と呼びかけると会場からは大歓声が上がった。
 ヒットナンバーを次々に演奏した上、最後のアンコールでは「ブラジルに言ったとき、坂尾(英矩)さんから『カーニバルではサンバの前はマルシャだった。日本移民もそれを聞いていたはず。君たちはそれを日本で広めて』と言われた」と説明して笠戸丸が歌詞に入ったマルシャ「バルーン」などで会場は大いに盛り上がった。次々にグランドフィナーレに登場したバンドやメンバーが加わり、盛大なフィナーレを飾った。
 南米のリズムにエイサーが加わり、参加者はカチャーシーを踊ったり、手を振ったりして熱狂していた。最後は花火が打ち上がり、大会の最後を惜しんだ。

新里アキラ・マルコスさん

 留学生研修生OB会ウリズンの新里アキラ・マルコスさん(39歳)は「もう終わってしまうのかと悲しい気分。でも次回大会に備えて、今から準備しなければ」と意気込んだ。

上原ミルトン定雄前県人会長

 上原ミルトン定雄前ブラジル県人会長(74歳)も「19年に初訪沖したが、大会は初めて。とても感動した。私は3世だが、父から何度も『必ず沖縄の土を踏め』と言われてきた。ようやく訪れることができ、ホッとした気分だ。来年の那覇祭り(那覇大綱挽まつり)にも来たいと思っている」と述べた。

知花ルイさん

 知花ルイさん(59、二世)は「素晴らしい受入れ対応だった。前夜祭パレードで『お帰りなさい』と呼びかけられ、本当に感動した。沖縄県人の皆さんに心から感謝する。もう仕事に戻らないといけないかと、悲しい気分だ」と言う。
 ブラジル日本文化福祉協会の元会長、呉屋晴美さんは「開会式はガッカリだったけど、閉会式は予想していたより盛大ですごかった。とくにBIGENが良かった」と興奮さめやらない様子。

玉城知事から海外功労者表彰をされた時の呉屋晴美さん
開会式で挨拶した時の高良会長

 初訪沖で初大会参加のブラジル県人会の高良律正会長(67歳、2世)は、「期待していた以上。大会を通して世界中に新世代や新しいタレントが育ってきていることを実感した。我々ももっとやるべきだと刺激を受けた。今大会の参加は少数で本当に残念だった。次回大会では従来以上に参加者を増やし、存在感が高まるように今から頑張らなくては」と5年後に向けて気合いを入れ直していた。

市民に共通する台湾有事への危機意識

 今大会中、偶然にも北朝鮮の弾道ミサイル発射に伴うJアラートが、周囲の人が持つセルラーから鳴るのを初めて聞き、その警報音の大きさにビックリした。ニュースでは知っていたが、それでも最初は何が起きたのか分からなかった。
 ブラジル関係以外の那覇市民とも会話する機会があったが、共通して感じたのは台湾有事を含めて戦争に関する危機意識の高さだった。それは東京で会った人々の比ではない。それに「本土」というか、「日本」を客観視する視線には、独特なものがある。
 正直言って、ウチナーンチュ大会に関心のない那覇市民も多くいることは確かだ。だがそれでも台湾有事の際、米軍基地が集中する沖縄が、それに巻き込まれる可能性があるとの認識は皆が共有しており、「いざとなったら南北米にいる親戚に呼び寄せてもらうこともあり得るかも」という言葉を数人から聞いた。
 「沖縄の戦後」はまだ終わっていない。そのような危機意識の高さが、今大会がかくも盛大に開かれる背景にはあるのだと痛切に感じた。(深)

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