特別寄稿=帰国のご挨拶=意義深かったブラジル布教の報告 浄土真宗本願寺派僧侶 久保光雲

浄土真宗本願寺派僧侶 久保光雲

 私は2015年よりおよそ6年半、西本願寺(浄土真宗本願寺派)の開教使として、また画家として、ブラジルでお世話になりました。サンパウロ市で3年半、アラサツーバ市で3年間の布教生活でした。
「浄土真宗の信心を伝えたい」という明確な目的をもって日本を出発した私でしたが、言葉の壁もあり、うまくいかず悶々とした日々を過ごしました。しかしある日系ブラジル人との出会いが、現代における海外布教の可能性を教えてくれたのです。
 大好きなブラジルから抱えきれないほどの刺激と愛情をいただきました。ここで感謝の意をこめて、ブラジル布教の詳細を書かせていだきます。

【ブラジルに来た理由】

 まず、なぜ私がブラジルまで来たのかというと、それにはいくつかの理由があります。
 私はお寺の生まれ(寺族)ではなく、大学生になるまで浄土真宗とはほとんど無縁でした。ですが幼少の頃より孤独感が強く、よく「何のために生まれてきたのだろうか」という思いが頭を離れませんでした。また死ぬのが怖く、「死んだ先には何があるのか」と恐怖を感じていました。
 大学時代にその答えをくれたのが浄土真宗でした。この教えは鎌倉時代の親鸞聖人(1173~1262年)によるもので、現在まで多くの篤信者を生み出しています。中でも有名なのが、鈴木大拙博士が研究して海外に紹介した妙好人(みょうこうにん)です。彼らは大工や農夫などの一般人でしたが、その言行からは、禅宗の名僧にも比肩するほどの素晴らしい宗教的境地が感じられます。
 妙好人の境地とは、浄土真宗でいう「他力の信心」の世界であり、死の不安すら乗り越えていけるものです。
 その浄土真宗の教えを聞くことを聞法(もんぽう)といいます。聞法者となった私は教えを聞き続け、あるとき、阿弥陀仏に出会えた喜びで心が満たされ、疑い無く阿弥陀さまを信じられるようになりました。このことを浄土真宗では「信心をいただく」と表現します。この信心とは阿弥陀仏からの贈り物であり、これによって極楽浄土に生まれさせていただくのです。
 その日から私は「生きている限り、この幸せを、世界の果てまで伝えていきたい」と思うようになりました。ブラジルで、たった1人でもいい、ご信心を喜ぶ念仏者を育てたい。それができたら死んでもいい。そう強く願ってブラジルに来ました。

【開教の問題点】

 浄土真宗がブラジルに入ってから80年近く経過していますが、教えが正しく伝わっているかは疑問です。
 もともとは異国の地で苦労する日本人たちが心の拠り所を、そして日本人同士が集える場所を求めていて、それに応じてお寺が建てられるようになりました。そのため現在でも、お寺は社交場としての役割を果たしています。
 これは日本文化を広めたり日系社会を維持するには大事なことでしょう。餅・焼きそば・煮しめなどの日本食を作ってみんなで楽しむ。カラオケを歌う。日本舞踊や盆踊りで盛り上がる。それはそれでよいことですし、この国は明るく陽気な人が多いので、すぐアミーゴ・アミーガになれるのは私も楽しいです。
 しかしお寺の本来の役目は、教えを伝えること。そして残念ながら、本当に浄土真宗の教えが生きる喜びや死んでいく先の安心となっている方は、まだまだ少ないのが現状です。法事や法要は先祖のためであり、自分が仏教を聞かせてもらうわけではない・・・仏教が本当に心の救いにはなっていないということです。これは海外だけでなく、日本でも同じ問題を抱えていると思います。
 それを打開するために、私は色々と試行錯誤しました。日系人の方には難しい言葉、とくに仏教用語は通じないことが多い。そのため子供でも分かる日本語を使うように工夫しました。
 また画家として、移転新築されたモジ・ダス・クルーゼス本願寺の内陣に極楽浄土の絵を描かせていただいたり、サンパウロで絵の個展を開いてそこで法話をしたこともあります。

サンパウロ個展にて、2018年11月

 アラサツーバ市のノロエステ本願寺に赴任してからも、マンガを使った法話をしたり、壮年層の集まりを始めたりしました。

 しかし、どうも反応が薄い。「ご信心を得て本当の幸せになりたい」と身を乗り出してくださる方が、なかなか出てこない。どうしてもあと一歩伝わりきらないところがあり、コロナ禍が起こる前ぐらいから、私は軽い失意のようなものを感じていました。

【コロナ禍で見出した布教方法】

 ブラジルにも新型コロナウィルスの波が襲ってくると、生活は一変し、ほとんど家から出られない状態になりました。法要や法事も一切できなくなりました。
 最初は焦燥感がありましたが、仕事や会議がインターネットで行われるようになったことにヒントを得て、ネットだけで布教できる方法を考えついたのです。
 ユーチューブに法話の動画を投稿すれば、それを見た人から連絡が来ます。さらに色んなインターネットの仕組み(ZOOM、note、Facebook、twitter、LINE)を駆使すれば、実際に会わなくても聞法者に助言したり話し合えることが分かってきました。

Zoom法話会の様子

 そのようにしてネットを通じて聞法した日系ブラジル人が、後述する中里エジソン秀樹さんです。
 コロナ禍という非常事態によって人々は生き方を問われ、仏教に心を向けるきっかけにもなったと思います。私のユーチューブからだけでなく、夫である久保龍雲のホームページ(『ゼロからわかる浄土真宗』『死ぬのが怖い人へ』)を読んで連絡してくる方々も増えてきました。地球の反対側にいる私のもとへ日本から相談してくる人が絶えず、今では切磋琢磨して聞法する集まりが出来ています。それも全てネットを通じて。本当に大事なことは何なのか、問い直す時が来たように感じています。

【中里エジソン秀樹さんとの出会い】

 2019年8月、素晴らしい出会いが訪れました。中里エジソン秀樹さんが「信心を得られずに苦しんでいる」と連絡をくださったのです。
 ブラジルには安永家といって、1914年に入植してから今では400人以上もの一族へと繁栄した家系があります。秀樹さんはその安永家の血筋で、サンパウロ州プロミッソン市出身の日系四世。日本文化を大事にする家風もあって、日本語が堪能です。
 幼い頃からお寺に通っていた彼は、若くして亡くなった最愛の弟の死をきっかけに浄土真宗の教えを深く知りたいと思い、私の動画をユーチューブで見つけてくださいました。彼はそれまで一生懸命に仏書を読み、勉強していましたが、「何かが足りない」という思いで苦しんでおられました。
 私は「信心を得るのは子供でもできること」「知識を増やす必要はない」「なぜ阿弥陀さまは秀樹さんを救いたいのか」「秀樹さんはどんな人間であるのか」と助言をして、ご自分と向き合ってもらいました。
 その頃の秀樹さんは奥さんも心配するほど暗い顔をして悩んでおられましたが、私との話し合いを通じて半年たらずで、心の大転換がありました。「阿弥陀さまはおられる」という強い確信が、秀樹さんの心に生まれたのです。それからは家族も驚くほど明るい表情になり、心から教えを喜ぶようになられました。
 その間、秀樹さんに実際にお会いしたのは2回だけ。基本的にはインターネットを通じて助言やお話をしておりました。
 彼は「ブラジルで1人でも多くの方に信心をいただいてもらいたい」と願うようになり、私と一緒にネットでポルトガル語の法話会を始めました。そして流暢に日本語を話せる彼との出会いによって、ブラジルでの布教が一変しました。
 それまでは、私のポルトガル語ではどうしても教えの深い部分まではうまく説明できず、また相手も日本語では自分の気持ちや疑問を上手く話せないという問題がありました。
 しかし今は、秀樹さんが通訳してくれて、教えの微妙なところまで正しく伝えることができるため、やっと本当の海外布教が始まったと感じています。

法話を通訳する中里エジソン秀樹さん

 これは海外布教のモデルの一つになるのではないかと思います。インターネットによって地理的な問題を解決し、日本語と現地語を話せる人物の通訳によって言葉の問題を解決する。
 ただしもちろん、その人物が教えを正確に把握していなければ、正しく伝道することはできないでしょう。
 今後は、いかに多言語話者に浄土真宗の救いを喜ぶ身になってもらうかが重要な点だと思います。

【私のブラジル開教】

 こうして私の海外布教は、インターネットを活用することによって、場所を問わないものになっていきました。
 私は娘たちの大学進学の問題もあり日本に帰ることになりましたが、ネットを通じたブラジル人の集まりも育ちつつあり、私のブラジル開教はこれから広がっていくと考えています。
 大好きなブラジルの地は離れますが、念願だった秀樹さんという念仏者は育てることができました。たった1人でも、大きな一歩であり、素晴らしい種であります。
 これからもブラジルの布教活動は続けますし、花が開いていくでしょう。
 布教は、私の命など及ばないほどの、長く遠い旅です。
 かつてインドで生まれた仏教は、中国で広まり、日本へやってきました。驚くことに今では、インドや中国において仏教は少数派へと衰退しています。
 今後、どこで仏教が広まるのか。そして、どこで篤信者が生まれるのか。有名な妙好人たちを生んだのは日本の山陰地方でした。
 いつか「たくさんの篤信者がいるのはブラジルである。本当の浄土真宗が知りたければブラジルへ行け」という日が来るかもしれません。


久保光雲

 広島出身。画家、僧侶(浄土真宗本願寺派)。京都市立芸術大学(陶芸科)を卒業。陶器製作に加え画家としての活動も始め、関西・仙台・アメリカにて個展を開催。龍谷大学大学院博士後期課程(真宗学)単位取得満期退学。2012年からカリフォルニア州の米国仏教大学院に留学。サンフランシスコやバークレーの寺院で法話を行う。2015年7月よりブラジルにて、開教使(海外布教僧侶)として赴任。著書『光雲な毎日』。Youtubeチャンネル 久保光雲の法話 https://www.youtube.com/user/yukoyuko18gan

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