ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(201)

 鉄格子の中の彼らを、大きな写真入りで派手に報道した新聞もある。その写真をみると鮨詰め状態であることが判る。
 さて、右の新聞記事から浮かび上がってくる事件の内容は押岩、日高、山下、白石姉妹たち、つまり既述のパウリスタ延長線地方の関係者の話とはエライ違いだ。
 しかし、これが決定的な事件観を作り上げることになる。ブラジルで、日系社会で、日本で━━。
 臣道連盟は闇の中に潜んでいた巨大で狂信的なテロ組織であるというイメージが固定化した。
 実際は、臣連は事件とは全く関係なかったのだが…。
 筆者が問題化している通説、認識派史観は、起源を辿れば、この時の新聞記事から発している。記事の内容を検証することなく信じ込んだのである。
 斯くの如くで、新聞も巻き込んで、状況誤認の連鎖に次ぐ連鎖は拡大、止まらなくなっていた。

 不自然、出鱈目!

 ところで、四月一日事件に関してのDOPSの動きは不自然極まるものだった。
 先ず、新聞への発表が時間的に早過ぎる部分が多い。
 例えば、事件の第一報は、当日の夕刊に掲載されており、その見出しで、襲撃者に関し秘密結社という言葉を使用している。また、その襲撃者が「敗戦派の殲滅計画に従っている」としている。
 夕刊の締切りは遅くとも昼頃だった筈である。
 当日の早朝、古谷襲撃班の二人はアクリマソンで警邏中の警官に逮捕されている。逮捕した警官は、この区を管轄する民警である。が、新聞発表をしたのはDOPSである。ルス駅近くにあるDOPSはアクリマソンからは、かなり離れている。
 逮捕した民警による署への連行・取調べ、DOPSへの移送、その他にかかった時間を計算すると、供述をとる時間は無いか僅かだった筈だ。
 そういう時間関係の中で、秘密結社だの敗戦派の殲滅計画だのといったことまで自白させられるわけはない。
 また仮に二人が秘密結社員だったら、それを簡単に自白することはありえない。
 さらに三日、四日の紙面には、その秘密結社の活動や結社員の数が記されており、さらに臣道連盟の名が出ている。
 事件の二日後に逮捕された三人を含め、計五人がDOPSで、そういうことをペラペラしゃべりまくったのだろうか。が、それはあり得ない。
 既述の押岩談の通り、彼らは連盟員ではなかったのである。
 ところが、DOPSは臣道連盟と断定して発表している。
 どうして断定することができたのか。
 次に、事件の起きた翌四月二日朝には臣連本部を急襲、検挙を始めている。
 そんな短時間に、事件と臣連が関係あるという確証を掴める筈がない。
 しかもDOPSは新聞発表で、臣道連盟に秘密結社という文字を冠している。
 しかし臣連は、先に記した様に、終戦と共に公開団体に切り替え、精神修養団体としての認可を州政府の管轄機関に申請、DOPSにも役員名簿も提出している。
 それを熟知しているDOPSが、新聞発表で臣連を秘密結社扱いしているのである。
 挙句の果て、州警察は、何故か、検挙の対象をすぐ臣連以外の戦勝派にも広めている。
 そして、この四月一日事件の直後だけでも(臣連の約四百名を含めて)推定で千名を超す大量の人間を連行している。
 殺人一人、同未遂一件という事件に、検挙千名以上というのは、馬鹿馬鹿しいほどの多さである。この程度の事件に、それだけの人数が関係することなど、物理的にも絶対ありえない。
 …という具合で、一言で表現すれば、この時のDOPSの動きは不自然極まる。
 何故、こんなことをしたのだろうか?
 考えられるのは、
 「DOPSは、それ以前から、臣道連盟をテロリストと決めてかかっていた。さらに臣連を主とする戦勝派を大量検挙する作戦を立てていた」
 という筋書きだ。
 その矢先、おあつらえ向きの事件が起こった。
 「待ってマシタ!」
 とばかり作戦を実行した。州警兵や民警も動員して…。
 つまり四月一日事件は、そのために利用したに過ぎない。
 新聞発表の内容は、DOPSが勝手に作ったものだったのだ。
 しかも、これも既述したことだが、以後も、事件が起こる度に大量検挙を続け、総計は数千名という数になるのである。
 臣連を主とする戦勝派全体に対する何らかの目的があったのだ。
 それは何だったのか?
 また、これだけの作戦を展開する以上、州警察だけの意思ではなかった筈だ。(つづく)

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