ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(195)

 ただし、
 「テロなどという大それた意識はなかった。テロという言葉は自分たちの心情とは合わない」
 と否定した。
 前章でテロという定義を否定する説もあると記したが、この山下の話が、それである。
 「敗戦論者の皇室の尊厳を侵し、国家を冒瀆する言動にカチンと来ており、日の丸事件の発生で、邦人社会の指導者たちに反省を求めるため、止むを得ず一度だけ過激な行動に走る。こんなことを放っておくと、日本の恥になるゾ、と。そんな気分だった」
 という。
 そういうことであれば、テロという表現は、心情には合わないかもしれない。
 彼の同志たちも、同じであろう。
 テロという言葉は、政治の世界で敵対する相手を殺傷する行為を指している。対して、山下たちに政治的な目的はなかった。本質的に異なっていた。
 なお、この人も、襲撃を決行したことについて、
 「後悔していない」
 と言った。
 写真の使用も、日高同様、承知してくれた。
 臣道連盟との関係については、山下はツッパンに連盟の支部があることすら知らなかったという。(日高は、自分が臣連に属していることを、山下には話さなかった)
 筆者は、さらに日高の話から、キンターナ組の蒸野太郎が、サンパウロで生きていることを知った。日高に紹介してくれる様に頼んだ。
 が、蒸野は最初、渋った。どうも以前、誰かが間違ったことを書いたり、映像作品の制作目的の訪問者が無礼なことを言ったりして、取材者が嫌いになっていたようだ。
 そこで辛抱強く待ち、拙著『百年の水流』初版本が出た時、日高に届けて貰うと、会ってくれた。二度、読んだということだった。

敗戦派も動く

 キンターナ、ポンペイア、ツッパンの十二人が決起した時期、同じパウリスタ延長線地方の敗戦派も動いていた。 
 同地方の多くで、戦勝派との関係が危険な状態になっていたためである。
 二月十七日、バウルーに九地域の代表十九人が集って、情勢を報告し合い、対策を協議した。
 九地域とは東からバウルー、ドゥアルチーナ、ガルサ、ヴェラ・クルース、マリリア、ポンペイア、キンターナ、ツッパン、バストスである。
 会議の司会は、バストスから来た山中弘(元ブラ拓職員、南米銀行支店勤務)が務めた。  
 その折の議事のメモが現存する。記録者は「マリリア市 西川武夫」とある。
 西川は、当時、この地方の邦人商業界では、屈指の存在であった。日本から輸入した雑貨品を販売する商店を営業、ツッパンその他に支店を持っていた。
 そのメモによると、各地の代表者から、戦勝派の動向が報告されている。
 その一部を抜き書きすると。――
 バストス代表
 「神道連盟ナルモノノ活躍盛ンナリ」
 神道は臣道の誤字。
 ツッパン代表
 「状況 最近ニ至リ益々悪化 落書事件ハ三回ニ及ビ…(略)…敗戦ヲ信ジル者ヲ追イ払ウベシトノ運動サエ起ル」
 落書事件については前章で触れた。
 ポンペイア代表
 「ツッパン程悪性ナラザルモ 認識者ニ対スル圧迫アリ 不良団体ノ運動ハ猛烈ナリ」
 認識者は、敗戦認識者のことである。
 不良団体とは臣連ほか戦勝派の団体を指す。
 ガルサ代表
 「不良団体ノ活動ハ相当盛ンナリ」
 バウルー代表
 「同」
 出席者の報告では、一部地域を除き、何処も敗戦派は全日系家族の一割以下であった。
 最大の集団地マリリアは「八百家族ノウチ三十家族」に過ぎなかった。
 集会は結局、司会が、
 「捨テ置キ難シ」
 と発言、
 「我等活動ヲナスベシ」
 との意見も多く。
 「然レバ ソノ方法如何?」
 となり、マリリアの三浦勇の提案を基に、次の様な決議をした。
 ①活動ノ主体ヲ作ル 仮ニ パウリスタ同志会ト称ス
 ②聖市ニ 四名以上ノ代表ヲ送リ ノロエステ(線地方) ソロカバナ(同) 聖市近郊ノ諸氏ト聖市有力者ヲマジエテ会談
 ③聖市有力者ノ地方ヘノ出馬ヲ要請 不良妄動団体ヲ官憲ニヨリ解散サセル運動ヲ起スコトヲ要求スル
 ④在伯同胞ヲ正シキ認識ニハイラシメルタメノ有力ナ組織ヲ作ラセル
 ⑤右ヲ実行スルタメノ準備工作ヲ開始
 右の②に地名の出ている所は、パウリスタ延長線地方と共に、邦人の大集中地であった。
 この決議をした人々の働きかけによって、同月二十五日、サンパウロの宮腰千葉太宅で、各地の敗戦派代表が会合した。が、即効性のある対策は見つからなかった。(つづく)

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