《特別寄稿》日本ブラジル アイヌ民族家系探索訪問記=勇払=日高・鵡川町の木下家を訪ねて=北大法学研究科教授 吉田邦彦

田中耕太郎博士の頃から、サンパウロ大学法学部で代々使われた講義室にて(2022年5月9日)(吉田さん提供)

1.はじめに

 話は、2022年5月に私の先輩・二宮正人サンパウロ大学教授の招聘を受けて同大学で先住民族(特に日本のそれであるアイヌ民族)の講義をしたことに遡る。さらに私は、ブラジル在住の原爆被害者の問題、アマゾンにおけるブラジル水俣病の問題にも触れた。そこに来てくれて質問してくださった、マリア・モリタさん(サンパウロ大学哲学部卒。その後サンパウロ連邦大学大学院生)はアイヌ系ブラジル人とのことだった。
 その彼女が、「私が北大にいる間にアイヌ民族のことを北海道で研究したい」とのことで2023年秋より北大法学部に滞在しているが、同時に自分のルーツも探したいという。これまで何度となく、調査訪問を行ったが、間もなく離れる2024年2月中旬に最後の鵡川訪問を行った。

2.調査経緯及び結果

(1)第1次調査は、2023年11月下旬に行った。マリアによれば、その祖母佐々木ウメノさんがアイヌ民族とのことで、先ず行ったのは、彼女の持参したウメノさんの婚姻届を持って、本籍砂川市の役所に行き、その戸籍を取り寄せることである。
 ウメノさんは1915年生まれ。1944年に、写真見合いでの結婚と共に、ブラジル移民された。2008年に亡くなられるまで、マリアは一緒に過ごすことが多く、アイヌ語で語りかけられたり、アイヌの文化、宗教、自然観など学んだりすることが多かったとのことである。
 その結果わかったのは、彼女の両親佐々木繁蔵さん(1875年生まれ)とリヲさん(旧姓木下)(1885年生まれ)は、1900年に鵡川で婚姻されて、その後鵡川ニタチナイ番外地から、広島村(現在の北広島)、厚真村、砂川と転々とされて、そこでウメノさんが生まれたとのことである。その本籍地(同市西豊沼261)にも出かけてみたが、畑作地が広がっており、その近くの家もブラジル移民されたとのことだった。

砂川市西豊沼の現況(2023年11月20日)(吉田さん提供)

(2)そして、リヲさんは、木下利左衛門さん夫婦から生まれたと書かれてあるので、我々は日を改めて、翌12月上旬に鵡川町役場にて戸籍を取り寄せるべく向かった。これが第2次調査である。しかし、鵡川町役場では、廃棄されていた。保存期間80年間が過ぎていて、1990年代後半に捨てたとのことであった。保管期間の経過と廃棄とは直結しないだろうと言って、私は抗議したが「後の祭り」であった。ここで一旦われわれの調査は、暗礁に乗り上げた。
(3)戸籍は消失しており、もはや我々は間接的に探るより他はなくなったのである。こうした中で、翌2024年1月上旬に阿部一司(ユポ)さん(元北海道アイヌ協会副理事長。鵡川出身)が、鵡川汐見地区の郷土誌をもって、この木下さんではないかとアドバイスして下さったのである。鵡川汐見地区ではこの木下家しかないというわけである。

鵡川汐見の木下巧さんのお宅にて。私(左から2人目)の左隣が、三上さん、右へ、木下桃子さん、美穂さん、マリア、一番右が石井ポンペさん(2024年2月)(吉田さん提供)

 事前調査では、同書に汐見の木下巧さんが出ており、今回の我々の訪問においては、大変協力的に尽力して下さった。巧氏の父は、木下梅雄氏(1938年生まれ。2018年に死亡)だ。祖父の木下良一氏(1914年生まれ。1993年死亡)は三上家出身だが、1937年に木下家のアイヌ夫婦(シラリク(シランレウク)さんとタコリレ(夕子リレ)さん)と養子縁組されているのである。
 しかし、鵡川アイヌ協会の汐見の三上純一さん(元会長)、穂別の澤本幸雄さん(現会長)ら関係者と話していると、隣町の穂別にも木下家があり、穂別似湾出身の木下家関係者にも当たってみる必要があるということになった。
 事前にアプローチしてみると、対応の仕方が異なり、我々の調査への協力の反応も対照的だった。穂別サイドは、アイヌ民族と言われたくないから迷惑がっておられたが、それでも戸籍をとってくださった。

宮戸共同墓地の木下家の墓の前で、石井ポンペさんとカムイノミをするマリア(吉田さん提供)

 その上で迎えた、2024年2月中旬の第3次調査である。当日は、①猛吹雪の中の札幌出発、穂別出身で札幌在住の石井ポンペさんも合流・同行してくださった。②1時間遅れの午後11時半からの鵡川町汐見のイモッペ生活館での三上純一さんとの面会となった。③木下巧さん宅の訪問では、巧さんは仙台におられて、奥様・美穂さん、偶々東京から戻っていたお嬢さんの桃子さんが対応してくださった。④木下家のお墓前でのお祈り(カムイノミ)をしてから、穂別(似湾・栄)に移動した。⑤澤本幸雄さん宅での穂別の関係者との面会となり、⑥穂別支部役場の訪問、⑦遅い昼食(午後4時過ぎ)、似湾に戻っての⑧小石川正一さん宅訪問。その後、⑨一般道での札幌戻り、午後8時過ぎ北大到着で、走行270キロという強行軍となった。

東京で勉強する大学生の桃子さんとサンパウロ連邦大学院生のマリア(吉田さん提供)

3.若干の所感

(1)そこで以下では、以上の調査を通じて考えたことを綴ってみよう。とても良かったのは、第1に、汐見の木下家とマリアとの関係で、今後の若い世代の日本ブラジル交流に発展するアイヌ繋がりができたことではないかと言うことである。娘桃子さんとマリアさんとの世代の新たな鵡川を中心とした国際的展開である。
 同行の三上さんが、いみじくも「これで一段とブラジルと鵡川が近くなったように思いますね」と言われた点である。
 巧さんは、当初「穂別の方ではないか」と言われたこともあったが、他方で、同行された穂別出身のポンペさんは、「汐見の方ではないか」と言われる。また、奥様から戸籍資料も見せてもらったが、やはり良一さんとシラリク・タコリレ夫妻との間が、養子縁組でもあるためか、シラリクさんと利左衛門さんとの兄弟関係は証拠書類がなく、《その存在は否定できない》
 そもそも当初汐見の郷土誌から阿部ユポさんが「この木下さんではないか」ともってこられたのは、この汐見の木下さんであるし、明治33年(1900年)に鵡川で婚姻して、鵡川ニタチナイ番外地で新居を設けられたというならば、穂別から出てきたと言うよりも、鵡川におられた方という推測の方が自然である。もっとも木下巧氏は、本稿の分析結果を伝えたら直ちに、《利左衛門さんが親戚ならば、そして、マリアさんと私たちが親戚と言うことになれば、本当に嬉しい》とのメッセージを仙台から即座に寄せてくださった。
 私もこれに接して、深い感銘を受けたが、この報を受けて一番喜んでいるのは、マリア、そして彼女の家族ではなかろうか。
(2)第2に、他方で、穂別の木下家との繋がりであるが、戸籍を見せてもらえなかったのは残念だけれども、面会者の「祖父徳太郎の先代まで遡って戸籍を取り寄せたが、利左衛門さんの名前は出てこなかった」という言葉をそのまま受け取ると、利左衛門さんに結びつけるのは無理であると思われる。
 面会者の拒否反応に関して、表向きに言われたことは、「自分は、アイヌ民族にはコミットしたくない」とのことだったが、これは日本社会におけるアイヌ民族に対する同化政策、先住民族差別の帰結なので、一概に彼女を責めることはできない。もっとも、最後に訪ねた小石川正一さんからは、色々裏事情もお聞したので、別事情も相俟っているのかも知れない。

アイヌ戸籍が廃棄されていた鵡川町役場にて。後ろは、尽力して下さった鵡川町町民生活課課長の佐々木義弘さんと主査の西さおりさん。しかし廃棄されたものはどうにもならなかった(2023年12月7日)(吉田さん提供)

(3)第3に、このルーツ探訪には、佐々木繁蔵さんからの追跡は課題として残っている。また、アイヌの方々の戸籍が、役所により捨てられたり、保管されたりしている。鵡川役場では捨てられ、砂川市役所や穂別支所では保存されている。安易に戸籍を捨てるのは、2007年の国連先住民族権利宣言(UNDRIP33条)「先住民族のアイデンティティを追求する権利」に反することも、関係者に認識して欲しいと思う。北海道アイヌ協会などでは、あらためて、アイヌ民族の関係戸籍の一律保管の必要性を訴えてしかるべきであろう。
(4)第4に、そもそも冒頭に述べたように、アイヌ系ブラジル人の存在自体に私などは驚いた次第であるが、北大の留学生で、理系でアイヌ系ブラジル人はいるようだし、マリアが知る限りでも日本全国に少なくとも、数名以上はいるとのことである。
 彼女によれば、アイヌ系ブラジル人及び沖縄のウチナンチュ系ブラジル人など先住民族系の人々には、日系ブラジル社会でも差別があり、多くの人は正面からアイヌ系であることを未だ言い出せないでいるとのことである。日系ブラジル人の方は皆さん移民で苦労されている方が多いので、単純に格差化することは難しいと思われる。

アイヌのしゃもじ(カスプ)のお土産を澤本さんからもらうマリア(吉田さん提供)

 しかし、澤本さん宅で、「どうして今頃訪ねてくるのか?」とマリアが叱責されたときには、私は、「彼女の父親も長年来道したかったけれども、地球の裏側から来ることはそう簡単ではなく、彼女がようやく家族の思いも託されて、今やっとのことで、若い彼女がこうしてアイヌの皆様宅を訪問しているのです」と代弁していた。
 ともかく、マリアさんは、文化人類学などの研究を経て、アイヌ民族という民族的意識を持ちつつ、北海道でのルーツ探しをしている初めての事例であり、北海道・鵡川そしてブラジル・サンパウロが拠点となり、アイヌ民族繋がりの日伯交流の新たな一ページが加えられることを願ってやまない。
 時あたかも、ボルソナロ政権とは対照的に《先住民族問題》に配慮を示すルーラ政権が誕生した今、未だ多くの問題を抱えるアイヌ民族問題の日伯両国の状況の考究について、ここで国際交流・国際協調関係の新局面が切り拓かれて、今後とも深まっていくことを願ってやまない。こういう歴史的一局面に居合わせることができたことに、私も幸せに思う次第である。
 最後に、付言しておきたいのは、ここに記した多くのアイヌ関係者は、皆我がことのようにマリアのルーツ探しに、限りなく(底抜けに)親切に、《深い仲間意識・民族意識で》献身的に協力し、彼女の積年の思いに涙して下さる方も少なくなかったということである。私は、こういう《アイヌ精神》に触れるだけでも、この30年ほどアイヌ民族の勉強をしてきて良かったと思っている。
 確かに、日本政府のアイヌ政策の世界標準に向けての歩みは遅々として進まず、ストレスもたまり虚しさもあるが、こういう情愛深いアイヌ民族の皆様の思いには、深い感銘を受けるのである。感謝を込めて、この点もお伝えして、今後の国際的先住民族交流の進展の一助としたい。(北大法学研究科教授 吉田邦彦=2024年4月から中国・広東外語外貿大学法学院・雲山特別教授)

【追記】マリア・モリタさんからのコメント(2024年2月18日)
 「先祖の恵みにより、私は、アイヌモシリ(北海道)に来ることができました。私は、アイヌ民族のバラバラにされた一人として、民族的認識の権利へのアクセスを得たように思います。しかしなお充分ではありません。アイヌ系ブラジル人のコミュニティには、私のような経験ができていない人ばかりです。

木下家の墓碑(2024年2月16日の訪問時に)(吉田さん提供)

 私は、鵡川の私の先祖のお墓に向き合い、こうしたコミュニティの皆が次々アイヌモシリに来ることができるようにと、お祈りを捧げました。ポンペさんが来て下さり、私の先祖の土地鵡川との邂逅にお気遣い下さった優しさにもお礼申し上げます。これは私の個人的な権利ではなく、私の家族全体の集団的(団体的)権利です。
 さらには、アイヌ系ブラジル人が今後同様のことを行う、一例です。そうしたアイヌ系ブラジル人の多くは、私のように大学院生(研究者)としてアイヌモシリに来ることができるとは限りません。しかし、アイヌ系ブラジル人が(ここに来ることができない)高齢者であっても労働者であっても、私と同様の権利があると思います。このように、私の鵡川への旅は、ごく僅かな歴史の一歩であり、この民族的再認識の再構築を今後行っていく集団的権利があると思います。」

(初出、志法(北大法律相談室雑誌)41号(2024年3月))

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