《特別寄稿》「ブラジルの水俣病」現状を調査=アマゾン違法採掘の水銀汚染被害=吉田邦彦(北大法学研究科教授・日本環境会議理事・協同総研理事)

1.はじめに――高岡医師からのメッセージ

高岡滋医師とともに水俣市・協立クリニックにて(2022年4月、提供写真)

 ブラジルのアマゾン川流域の水銀中毒の水俣病問題については、既に1990年代前半に水俣病関係者訪問の歴史があったが、途絶えてしまったようだ。
 日本環境会議九州大会(2022年4月)を終えて、水俣でお目にかかった高岡滋医師(水俣・協立クリニック、当会議理事)からは、「水俣病対策は、21世紀においてはグローバルにならなければならない。これまでの繋がりが消えてしまっている。新たな長期的協力関係を築いて欲しい」とのメッセージをいただいた。
 目下のボルソナロ政権は(違法)金採掘を推進する経済政策を採っていることもあり、状況は悪化している。とくに河川流域居住の先住民族の健康被害が深刻になっており、とくにブラジル北部のアマパ州のアラグアリ川の状況が深刻とのことである。
 この問題について、献身的な取り組みをしているNPO「lepé」(イエペ、先住民族能力形成研究機関)で要職に就くヨコタ・デシオさんは、アマゾンでの魚類の水銀汚染、さらにはそれによる先住民族の汚染について詳しいので、彼の案内でアマパ州のアマゾンの汚染状況の現場研究をすることになった。

2.アマパ州アラグアリ川の川上りと日伯水俣病の相違

2―1 概況

アラグアリ川の川下りの途中、このような浚渫船にも出くわした(提供写真)

 2022年5月4日、赤道直下のアマパ州の州都マカパを早朝に出発し、国道156号線を約100キロ1時間半かけて、自動車を走らせるとポルト・グランデに着く。ここで、アレッチェ・レアルさん(48歳)と落ち合い、ボートで1時間以上アラグアリ川を上った。
 アマパ州の川魚事情に詳しいアマパ州科学研究機構(IEPA)のC・ガマさんとも面談した。彼女によると、アラグアリ川は上流にロレンソ金鉱があり、さらに下流には、それと合流するアマパリ川にヴィラ・ノヴァという金鉱があり、そこからの廃液が垂れ流しになっている。
 さらに、水力発電施設が建設中で、湖底には有機水銀混じりの土泥が堆積し、水をよどませ、好ましい状態ではないとされる。ここでは、1930年代から違法の金採掘が進み、採掘現場には国道210号線で行けるはずなのだが、実際に行こうとした人は『来ないように』と呼び止められ、lepéの関係者でも危険ゆえに一度も行ったことがない『謎』の地である。
 実際にボートに乗ってみてすぐに感じたのは、アラグアリ川は、赤黒く濁り、鳥1羽とて見ることはできず、川魚もおよそ見ることができないという、通常の川下りのボートツアーとは対照的で想像も付かないようなものであった。そういう意味で、「誠に異様な光景」であった。
 ブラジルでの水銀公害として、職人的小規模金鉱夫(ASGM、artisanal small-scale gold minerの略)関連で2010年代半ばに、ブラジルで1220トンが放出されており、その関係者は1400万人ないし1900万人とされる(2017年)。構造的問題として水俣合意(水銀条約)(2013年)は、水銀に関するグローバルな取引規制がなされていないことが指摘される。
 また金鉱夫の問題は、先住民族の土地で行うことは違法なのだが、他方でその操業自体は憲法上許容され、さらに2008年の特別法(職人的採掘法、The Artisanal Mining Statute、Law11, 685)では、職人鉱夫の業者との提携、協同組合の結成、その他の雇用の権利を認めている。
 それ故に違法操業でもない限りは、それ自体の規制は難しい。しかも各々の規模は小さいから、日本の水俣病の被害者がチッソを訴えるのとは異なり、現実的に賠償取得も難しいという問題もある(そもそも提訴などない)。

2―2 アルレッチェさんの場合の症状

 このように「ブラジルの水俣病」は構造的で、被害者保護も医療もあまりなされていないという意味で深刻だ。せいぜい汚染魚の論文が出されて、食生活の改善のために「間接的に」警告がなされるくらいである。
 しかも先住民族の貧困問題が横たわっており、「汚染魚を食べざるを得ない」という事情に変化がないから、あまり状況改善に繋がっていない。そもそも診断結果データもないと関係者からは指摘される。そういう活動をしようとすると妨害を受け、ひどい場合には命を狙われる。
 「『ブラジル水俣病の国際医療支援の皮切り』を始めて欲しい」と言う高岡医師からのメッセージもあるので、一緒に川上りにつきあって下さっているアルレッチェさんの症状を調査することにした。
 以下は聞き取りしたことである。
 ①(経歴)彼女は、1974年生まれで、現在48歳。16歳で結婚したが、それまでは、金採掘とは関係がなかった。しかし結婚とともに、夫(離婚されているので前夫)が金鉱夫だったので、それから35歳までは、ずっと金鉱の傍で暮らしたというところで、聞き取り場所から50キロぐらい離れたところである。
 ②(症状)第1に物忘れがひどいということ、第2に視野が合わせづらい。何を見ているか分からないことがある。そのためにスマートフォンが使えない。さらに見ようとすると目の奥が痛くなる。第3に関節に力が入らず物を落としたりする。また指を動かすことができなかったりする。第4に偏頭痛がある。
 こうした症状で水俣病と認定されるかどうかであるが、厳格なハンター=ラッセル症候群では難しいかも知れないが、水俣病被害にかなり類似するのではないか。40歳代後半は通常は認知症の歳ではない。
 とくに、近時の高岡医師らの肌理細かな症状の集団的調査による疫学分析との比較では充分に「水俣病」が認定されるように思われる。
 なお、IPEN(汚染物質除去ネットワーク)の検査では、彼女の値は8・7ppmであった(2019年)。彼女の食生活としては、地元の魚を食べ続けている。
 彼女は組合の代表なのであるが、決して住環境なども立派ではなく、貧困問題を抱えている如くで、蛋白源として魚摂取からそう簡単に脱することはできないようである。因みに、当時の検査の最高値は、10ppmを超えた人もいた(12ppm)とのことである。

2―3 小括――日伯水俣病問題の状況の相違

 ここで両国の水俣病状況の比較を整理しておくと、第1に「ブラジル水俣病」は、同国では公害認定されていない。単に水銀汚染の魚の調査がなされて、それを摂取する食生活に対して、警告を発する、つまり食生活の改善に向けての啓蒙を図る論文が出されているに止まる。
 第2に、日本の公健法や特措法に見られる政府(公害行政)の被害者支援は、ブラジルにはない。公健法(1973年)は水俣訴訟の成果を踏まえての立法であるが、もちろん日本でも保護への道のりは単純ではなかった。
 1977年の診断基準(いわゆる『昭和52年基準』)は、制限的で多くの人が保護からふるい落とされた。そしてそれへの反発を受けて、政治的妥協としての2009年に水俣病特措法による保護が図られた。
 しかし、司法的努力はその後も続けられ(その成果が、最高裁判所判決(最判)平成16年(2004年)10月15日民集58巻7号1802頁(関西訴訟)であり、最判平成25年(2013年)4月16日民集67巻4号1115頁(水俣病認定申請棄却処分取消訴訟)等も昭和52年(1977年)基準を否定した)、さらに2005年以来の「ノーモア・ミナマタ訴訟」で患者の掘り起こしがなされている。
 おまけに第3に、ブラジルでは金鉱近くに立ち入ることは危険を伴い、事実上できない状況である。金鉱夫の労働は、憲法や08年特別法で保護されているからとして、金鉱業界からは実力行使を含めて、それへの障碍を振り払おうとする。先住民族土地における「違法採掘」であっても、そうした実力行使を厭わない勢いがある。
 従って事実上、採掘現場の労働者やその家族の水銀汚染による健康被害の診断もままならない状況なのである。
 第4にブラジルでは、水銀被害に関する訴訟も提起されていない。それは日本のチッソのような損害賠償に耐える大企業はここでは存在せず、小規模な金採掘業者に責任を期待することもできないという現実問題がある。
 第5にブラジルでは、診断もできないのであるし、環境保護運動も危険を伴うわけである。

3.アルレッチェさんによる新たな起業への注目――遺伝的知識の利用による企業の21世紀的保護の必要性

3―1 アルレッチェさんの起業の重要性

アルレチェさんの自宅にて、各種石鹸・軟膏を購入(2022年5月、提供写真)

 我々がアルレッチェさんに注目しているのは、ブラジルきっての水銀河川アラグアリ川流域に生えるコパイバ(copaiba)という植物に着目して、そこから石鹸や軟膏を製造する事業を立ち上げようとしているからである。
 先祖からの言い伝えを頼りに、2021年から「アラグアリ川流域植生搾集女性組合」(Associaçao das Mulheres Sementes do Araguari )を立ち上げ、その代表に就任したのである。その組合員は、目下30名ほどの女性であるが、デシオさんのNPOが財政支援し、その作業所などの建設状況も見せて戴いた。

3―2 若干の分析

(1)(彼女の起業の意味)

 これは遺伝的(先住民的)知識(伝統的知識)(Indigenous knowledge; traditional knowledge)による、素晴らしい逆転的発想であろう。ブラジルの今日の現況は、水俣病が我が国に知られた頃と事情は大差ないと言っても過言ではない。
 生活に余裕を持たせるためにも起業は必要で、そのために先住民族の遺伝的知識を用いようとするところが素晴らしい。「自然環境と共生しながらの経済的持続可能性」の道とはまさしく、このことであろうと、現場に居合わせて私は興奮していた。
 コパイバという環境に優しい樹液から石鹸などを作り出すということは、誠に環境危機にはふさわしい方向性であり、「近代文明」とは対蹠的な狩猟採集民族性から来る社会観であろう。シャーマニズム・アニミズム的な死生観などにも通ずる「アマゾン汚染先住民族の長年の知恵からの再生方法」といえる。
 アマパ州は、巨大河川アマゾンにより、島嶼化してグローバリズムから免れているかと思いきや、マカパからポルテ・グランデまでの100キロの道のりの両側には、広大な牧場ないし低層の農作地化が進み、しっかりアグロビジネスによるサバンナ化が及んでいることに胸が痛んだ。
 だが、アラグアリ川上流に来てみて、こうした原始社会の知恵からヒントを探ろうとしている人々の協同組合に遭遇し、ある意味光明を見る思いであった。

(2)(法的課題・戦略的課題)

 こういう起業が成功するための課題を考えてみよう。その第1は、こうした起業が規模的に定着するためには、人的規模の一定の大きさ、設備の充実、市場の一定の確保などの商業戦略が必要になるが、そのためにも財政支援が必須であろう。
 第2は、遺伝的知識は下手をすると、後発の企業が触手を伸ばし、特許取得などを行うと、それにより先行の先住民族の遺伝知識が搾取される危険がある。そういうことがないように南アフリカなどでは先住民族の伝統知識保護のための政府機関「CSIR」が大きな役割を演じていることを前に報告したことがあるが、ブラジルにおいても同様の政府支援が求められるところであろう。
 第3に、そうした事業運営で先住民族的生活に注視することには、教育的効果があることに、環境の危機の21世紀の今気づかれるべきであろう。アラグアリ川沿岸に住むガブリエル&ドラン・セウさん夫妻は、組合員(実質筆頭役員)として、自己の住まい・土地を提供し、この組合の事業運営の場所に提供し、さらに将来的に若者の教育の場所に展開することを考えている。
 我々はそこで昼食をご馳走になったが、完全な自給自足的な生活で全て食材はまかない(もちろん、有毒の魚類は控えて、代わりに家禽類を提供される)、さらに庭にふさふさとなるアサイの天然100%ジュースを振る舞ってくださり、感銘を受けた。

4.むすび――ブラジル水俣病改善のために何をしたらよいのか?

 最後に、ブラジル水俣病の患者の保護がどのようになされるべきか。
 その第1は、金採掘を止めることである。採掘で深刻な影響を受けるヤノマミ族のリーダーのコペナワさんは、飽くなき金の追求は、人間生活として意味がなく、そうした欲望を控えることを訴える。これは、資本主義の欲望の肥大化の裏側の問題であるが、今のところ如何ともしがたい。
 第2は、先住民族保護の強化、違法採掘の取り締まりの厳格化である。つまり先住民族保護に好意的な進歩的大統領が生まれるしかない。だがこの方向性も、先行き不透明なのである。
 そこで第3は、アルレッチェさんを中心とする協同組合事業を安定的に展開することである。所得が広がり生活に余裕が出れば、食生活改善を行うゆとりが出る。この方向性は前節に示す如く、戦略的課題は山積であろうが、それでも手堅いであろう。
 最後に第4に、日本からの宿題であった「国際医療支援」はどうか。例えば、アルレッチェさんのネットワークをフル稼働させて、水俣病的症状を抱える人に、ポルテ・グランデなどに集まってもらい、そこで診療を進めれば問題はないように思うが、いかがだろうか?そういう医療活動、さらには食改善の教育活動も、本協同組合事業に繋げていけばよいと思う次第である。(2022年5月6日記)

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