ロックの女王ヒタ・リー逝く=南米の女性先駆者、75歳で

ヒタ・リー (2010年、Alexandre Cardoso, via Wikimedia Commons)
ヒタ・リー (2010年、Alexandre Cardoso, via Wikimedia Commons)

 ブラジル、南米を代表する「ロックの女王」ヒタ・リーが9日、肺癌のために亡くなった。75歳だった。9日付フォーリャ紙(1)などが報じている。
 ヒタは1947年にサンパウロ市ヴィラ・マリアーナで米国系の歯科医の父とイタリア系の母との間に生まれた。彼女は1965年、学校で出会ったアルナルド・バチスタのバンドに参加。このバンドが「ムタンチス」となった。
 ムタンチスは68年にポリドールと契約を交わすと、プロデューサーの紹介もあり、カエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルらと知り合った。そこで共同でレコーディングを行った作品が、アルバム「トロピカリア」に発展。このアルバムは「ビートルズの影響を受けた実験的な南米音楽」として、この当時のみならず現在に至るまで、また、ブラジルにとどまらず、国際的にも名盤として知られるようになる。
 ムタンチスはイギリスでのデビューの話もあったが、進展せず、5枚目のアルバムの後にヒタはムタンチスを脱退。本格的にソロ歌手となる。
 ソロになってからは、名作の誉れ高い1975年のアルバム「フルット・プロイビード」を皮切りに、80年代前半までヒット曲を連発。「マニア・デ・ヴォセ」「シェガ・マイス」「ドッセ・ヴァンピーロ」「ネン・ルショ・ネン・リショ」、そして最大のヒットとの呼び声が高い「ランサ・ペルフーミ」などが有名となった。
 彼女はまだ国際的にも女性のロック歌手が少ない時代の貴重な存在となり、「ロックのライニャ(女王)」の愛称で愛された。カラフルに染めた髪とサングラスがトレードマークとなり、ロックの歌詞ではまだ珍しかった女性の生活習慣やファッションを盛り込んだ歌詞でも先駆的な存在だった。80年代からは生涯の伴侶ロベルト・デ・カルヴァーリョが音楽上でもパートナーとなっていた。
 90年代、00年代にもヒットを重ねたが、2011年にステージ活動引退を発表。それ以降も自身の自叙伝などをベストセラーにするなどしていたが、2021年に肺癌が発覚。1度はいやされたとしていたが、その後、再発。以後、病状を伝える報道も頻繁に行われていた。
 通夜は10日(水)10時から17時までイビラプエラ公園のプラネタリウムで一般公開の形で行われる。

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