特別寄稿=「ファドの女王」と日本=世界で歌い、日本でも愛されたアマリア・ロドリゲス=ジャーナリスト 平リカルド(元ジョルナル・ダ・クルトゥーラ編集局長)

アマリア・ロドリゲス氏(1969年、Anefo, CC0, via Wikimedia Commons)

 43年ぶりにポルトガルへ旅行した。私がこの美しい国を知ったのは、テレビ局でのインターンシップを終え、初めて国外出張したばかりの駆け出し時代だった。
 今回は娘のカタリーナが企画し、家族と一緒に旅行した。娘はリリコ歌手(「リリコ」はオペラ歌唱法の一つで、柔軟で明るい響きを持つ叙情系なのが特徴)だから、音楽関連のプログラムが盛りだくさんだった。
 リスボンの守護聖人サントアントニオの生誕地の目の前にあるファドハウスを訪れ、翌日にはアマリア・ロドリゲス博物館へ行った。サントアントニオはリスボン生まれの宗教家でカトリック教会聖人。ファドは「運命」や「宿命」を意味する言葉で、ポルトガルを代表する民族歌謡だ。
 20世紀を代表するファド歌手の一人であるアマリア・ロドリゲス氏は「ファドの女王」と呼ばれた。彼女は1920年にリスボンの質素な家庭に生まれ、刺繍の仕事をしていた。思春期の後期には歌手としての片鱗を魅せ始めた。
 博物館は、アマリア氏が1999年に79歳で亡くなるまでの約50年間暮らした家だ。同館は、ポルトガルの首都、リスボアのサンベント街に位置する。近くには、ポルトガル文化を代表する作家であり詩人でもある、フェルナンド・ペソアの博物館もある。
 同館は、3階建ての屋根裏部屋付き。シンプルで美しい装飾が施されている。同館の撮影は禁止だが、運よく何度か携帯電話での撮影を許可してもらった。同館のコーディネーターから、アマリア氏は世界130カ国以上で公演し、日本では9回ツアーを行い、ライブ収録もしたと聞き、驚かされた。
 間違いなく、ファドは日本国民にドラマチックで演劇的な音楽であることを印象付けただろう。ファドは男性でも女性でもパワフルな声質と、カリスマ性が求められる。アマリア氏が最初に日本を訪れたのは1970年で最後は1989年。

 同館では、日本での彼女の出演を告げる広告、マスコミの反響、日本で受けた表彰などを見ることができた。ユネスコの「無形文化遺産」に指定されているファドに、アマリア氏が多くの若者の関心を持たせたことがわかる。今では津森久美子やTAKUなどのポルトガル製のギターを使い、カモインス語で演奏している日本人歌手が出てきた。
 博物館では、同氏がヴィニシウス・デ・モラエスなどのブラジル人歌手や作曲家などと集まっていた部屋、世界中のステージで着た衣装、靴、服飾品、有名アーティストや一般市民が描いた同氏の肖像画がたくさん展示されていた。
 同氏の飼っていた灰色のインコ「チコ」が枝に止まっている姿は実にかわいらしかった。ガイドの説明によると、チコは日光浴が好きだとか。チコは鳴いたり、騒いだり、「アマリア」の名前を呼ぶこともあった。チコの鳴き声は、歌の一節を彷彿させるもので、聞いていてとても心地良かった。

平さん

 アマリアが日本と結んだ絆は今も実を結んでいる。ファドとファド演奏家は、彼女に感謝している。
◆アマリア・ロドリゲス博物館Casa-Museu Amália Rodrigues(Rua de Sao Bento 193, Lisboa 1250-219 Portugal)

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